ブックレビュー

知的好奇心や学習意欲に応える本を集めてレビュー。評論から専門技術書まで、硬軟織り交ぜて取り上げています。

サブカテゴリー
一般の音楽書
作曲・音楽理論の本
管弦楽法の本
音楽史の本
作曲家が語っている本
「作曲発言集」

理解し、意味付けたい欲望~『楕円とガイコツ』を読んで

※『楕円とガイコツ』の内容紹介はこちら。

タイトルからはとても音楽に関する書籍とは思えないのですが、その内容は著者のこれまでの著作を包括し、かつ反省と気付きに溢れたもので、大変読み応えのあるものになっています。本書は、強いてジャンル分けするならば音楽理論書や作曲技法書といったものではなく(もちろんそういった読み方に耐え得る書籍であると思いますが)、「音楽批評」になると思われます。 続きを読む »

音楽は自然の法則か~『音楽する精神』を読んで

※『音楽する精神』の内容紹介はこちら。

世の中には自然指向と言える様な、人工ではなく自然から生まれたものの方が価値があるとする見方があります。そして、音楽の世界にもその価値体系があります。厳密には、自然現象に依拠したものに価値があるとする、と言うべきでしょうか。それは「自然倍音列」を中心とした価値体系のことです。 続きを読む »

クラシックがクラシックである理由~『クラシックを聴け!』を読んで

※『クラシックを聴け!』の内容紹介記事はこちら。

今回は、舌鋒鋭い批評を繰り広げている許光俊氏の「クラシックを聴け!」を取り上げてみます。本書はサブ・タイトルに「お気楽極楽入門書」とありますが、その内容は鋭く、下手な音楽書を読むよりも作曲に対する考察につながると思われます。 続きを読む »

古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その4

■武満 徹(作曲家)
「自然なものを大事に・・・人間も自然の一部でやっぱり自然・・・自然というよりも、宇宙だよね。もっと宇宙的な仕組み、システムを本来のものに、元々の姿にしとかないと。音楽なんかをやるっていうのは、結局、そういうコスミックなシステムっていうのを恐れる、敬う、尊敬するっていうことだと思うんですよ。まあ、そこまで僕の音楽はいってないけど。その一つの形、形式、音楽はその一つの形。イマジナリーな自然だ」

マリオ・A 著:「カメラの前のモノローグ」より

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古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その3

■国安 洋(美学者)
「日常では我々は音楽を聴きたいように聴いている。それは個性的であるとして好ましい聴き方ともみなされている。しかし、これも美的享受とは無縁であるばかりでなく、我々の聴体験にとって決して好ましいことではない。聴きたいように聴くことは、聴きたいようにしか聴けないことを意味しているからである。これは耳の硬化あるいは偏向化であり、耳の暴力になりかねない」

国安洋 著:「《藝術》の終焉」より

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古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その2

■シェーンベルク(作曲家)
「芸術とりわけ音楽における形式の目的は、まず判り易さにある。楽想・展開・論理が把握できれば聴き手も満足でき開放感を感じられる。これは心理学的に言えば、美感と密接な関係をもっている。だから芸術的価値が判り易さを必要とするのは、知的満足だけでなく感情的満足のためである」

シェーンベルク 著:「作曲の基礎技法」より

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古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その1

■山田 耕筰(作曲家)
「作るのではない。生活から生むというのが私の創作上の信条だ。生むまでの苦心、日一日の精進だ、精励だ、刮目だ。いささかの油断も無い、全く言語に絶えた、真剣な生活そのものだ」

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回答法という回答~『コード・スケール ハンドブック』を読んで

※『コード・スケール ハンドブック』の内容紹介はこちら。

スケール(音階)に関する理論の多くは次の様な要請から生まれています。ある和音が鳴っているとき、旋律にはどのような音の可能性が有るのかというものです。逆に、旋律から和音の可能性を導くことも考えられます。しかし、これらはスケール概念の一側面に過ぎないのですが、多くの本はこの先までは触れません。大抵、「長調の I 度の和音にはイオニアンかリディアン・スケールが用いられる」といった対応を示して、コードとスケールの羅列に終始しています。 続きを読む »

ワイルドカード・コンセプト~『リディアン・クロマティック・コンセプト』を読んで

※『リディアン・クロマティック・コンセプト』の内容紹介はこちら。

作曲者が様々な体系的な音楽理論に触れることのメリットには、作曲時の音楽的思考に際して様々な音楽イメージの座標系(ものさし)を持ち込めるというものがあるでしょう。逆にいえば、体系的な音楽理論(作曲法タイプ)というものは、発案者の音楽イメージに現れる傾向を、システム(理論体系)にまで高めたものだということが出来るのではないでしょうか。 続きを読む »

新たな調性世界を求めて~『ブルー・ノートと調性』を読んで

※『ブルー・ノートと調性』の内容紹介はこちら。

「ブルース」という音楽に対する疑問の数々は、「ブルー・ノート」に対する疑問として集約されるでしょう。今までにも数々の音楽家や音楽学者らによって様々な形で解明しようとされて来ました。しかし理論的追求を行うと、その音楽としての魅力はたちまち失せてしまい、単なる観察結果になりがちで、ブルースという音楽を捉えるには至っていません。結局、ただ指をくわえて音楽に浸るしかないものでした。 続きを読む »