コラム

「作曲って何?」という素朴な疑問と向き合ったコラムをはじめ、本の紹介をしながら自由に語ったコラムや、創作のことなどを綴っています。

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ルトスワフスキの魅力を再認識

ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-1994)のNAXOS盤『Symphony No. 4』より、間奏曲(interlude)を改めて聴く。 続きを読む »

音楽史を通して立脚点を見つめなおす

ここ最近は、音楽史に関する良書に出会うことが多く、個人的な収穫に恵まれている状況です。 続きを読む »

北欧の作曲家ラウタヴァーラ

ラウタヴァーラ(Einojuhani Eautavaara 1928- )の交響曲3&7&8、ピアノ協奏曲2&3などを聴く。 続きを読む »

アートにおけるイメージの具現化

アートにおけるイメージの具現化とは、イメージの忠実な具現化ではなく、イメージとの戯れの結果生じる足跡のことなのではないか、ということ。 続きを読む »

つぶやき的な

自分にとっての作曲という行為が、イマジナリーなものの音響表現としてではなく、作曲装置(楽器などの演奏環境など)によって規定される枠内での可能性表現に転倒してしまっているのではないか、という自問。 続きを読む »

うたた寝とサウンドスケープ

先日、地元にある温泉施設「ゆらら」へ行って来ました。そこの存在は以前から知っていたのですが、出掛けたのは今回が初めてでした。 続きを読む »

東西アフリカ圏の音楽を聴く

菊地成孔著『憂鬱と官能を教えた学校』の律動の章に感化されて、アフリカ音楽を聴いてみました。 続きを読む »

久々の知的カンフル剤でした

菊地成孔著『東京大学のアルバート・アイラー「キーワード編」』を一読。お目当ては濱瀬元彦氏が登場する部分です。この濱瀬氏はベーシスト&作曲家にして音楽理論書『ブルー・ノートと調性』の著者であります。 続きを読む »

これは内在しているストレッサーなのか?

思うに、「生の自分」をさらけ出すことに大きな抵抗を感じているのかもしれません。実際、人前で即興演奏をしたりすることには昔から強い拒否感を持っていましたし、作曲の実際の様子を見られるのも勘弁願いたいです。 続きを読む »

読書三昧

ここしばらく、音楽に関する本を読む機会が少なかったのですが、脳科学などの別分野の本を通じて、そこから興味深い音楽書籍に出会うことが増えてきました。おかげで近頃は時間が空いたら読書三昧という状況です。 続きを読む »

まずは文章の世界から

音楽であれ何であれ、作者が「出来た(もう、これでいい)」と思った時点のものを作品として提示するというスタイルについて、私自身あまりにも当たり前に思い込み過ぎていた気がしています。 続きを読む »

このブログのスタンスを考えてみる

自分の中の曖昧なもの、不明瞭な気分や感情──、そういったものを自分なりの言葉にして“自分の外”に一端置いてやることで、それまでには気づいていなかった別のものが顕在化するものです。 続きを読む »

図書館の底力を味わう

私は、読書や資料探しや気分転換などに図書館をよく利用します。県の図書館政策が盛んなお陰で、今までに色々な絶版本や趣味性の高い本を読むことが出来ました。どうも、県民一人あたりの年間貸し出し冊数が全国トップクラスらしく、どちらが鶏で卵なのかは分かりませんが、一度に借りられる冊数も10冊三週間という嬉しいものになっています。 続きを読む »

建築は凍てれる音楽である(音楽の構造)~『音楽の不思議』を読んで

※『音楽の不思議』の内容紹介はこちら。

古くから音楽は建築と密接に並べて語られることが多かった様で、表題の「建築は凍てれる音楽である」という一文は、その例として著者も紹介しているものです。この詩的な表現はなかなか素敵なものだと思いますが、皆さんにはどの様に感じられますでしょうか。 続きを読む »

テクノロジーと作曲との関係~『ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック』を読んで

※『ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック』の内容紹介はこちら。

この本は監修者曰く、「テクノロジーと表現、テクノロジーと文化、テクノロジーと人間や社会との共時的、通時的な関係を、音楽をモデルとして横断的に探求することを目的としたアンソロジー」とのことです。なにやら取っ付き難そうな印象を与えそうですが、その内容は「テクノロジーは、社会における音楽にどの様な影響を与えて来て、またどの様に変化させて行くのか」を俯瞰しようとするものだと言えます。 続きを読む »

“型”としての作曲技術~『作曲の基礎技法』を読んで

※『作曲の基礎技法』の内容紹介はこちら。

まずこの本は、作曲の技術的側面に的を絞った技術書だと言えるでしょう。音楽としての「形」を成立させるための技術、身に付けるべき音楽の「型」といったものを、数個の音符から大規模な形式に及ぶまで具体的に説明しています。 続きを読む »

作曲行為の起動~『大作曲家があなたに伝えたいこと』を読んで

※『大作曲家があなたに伝えたいこと』の内容紹介はこちら。

物事には何でもはじまりがあります。では、作曲行為にとって「はじまり」とはどういったものなのでしょうか。最初の音が選択、決定されて、曲が姿を見せはじめるまでには、どういったことが起こっているのでしょう。作曲家のルトスワフスキは、インタビュアーの「何から書きはじめるのか、基本的な楽想からか、楽想の萌芽からか、あるいは作品の総体的な構想からか」との問いに次の様に答えています。 続きを読む »

音楽における”歴史的問い”の喪失~『ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック』を読んで

※『ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック』の内容紹介はこちら。

本書の論考のひとつ、椹木野衣氏の「”音楽”の消滅とその< 痕跡>」から、まずは引用しておきます。

美術史におけるマルセル・デュシャンの試みの例を引くまでもなく、近代以降、「作品」の価値を決定する最終的な基準というものは存在しない。したがって、作品の評価はかつてのように作品そのものの<質>においてなされるのではなく、たとえ物体としては「便器」であったとしても、それが美術館であれ美術市場であれ<流通>することが可能であれば、何であれそれは便器を超えた価値がある、というふうに裏返されたのである。 (p160) 続きを読む »

作曲後に襲い掛かってくる疲労感~『大作曲家があなたに伝えたいこと』を読んで

※『大作曲家があなたに伝えたいこと』の内容紹介はこちら。

本書は、百人に及ぶ作曲家の、作曲に関する発言をまとめたものです。それぞれの発言に対して、音楽学者である著者がコメントを添えています。その内容は、作曲家の紹介や、時代背景、創作活動に対する考察といったもので占められており、各発言の重みや洒脱さといった雰囲気が面白く、読み物として楽しく、得るもののある本になっています。 続きを読む »

積み上げる作曲 その2~『現代音楽のポリティックス』を読んで

※『現代音楽のポリティックス』の内容紹介はこちら。

シェーンベルク著「作曲の基礎技法」のコラム「積み上げる作曲~『作曲の基礎技法』を読んで」において、音楽の積木を積み上げる作曲についてお話ししました。本書の著者で作曲家の近藤譲氏は、本書において自らの作曲法について述べています。その内容は「積み上げる作曲」で述べたことと大きく関係していますので、これからご紹介したいと思います。 続きを読む »