新たな調性世界を求めて~『ブルー・ノートと調性』を読んで

※『ブルー・ノートと調性』の内容紹介はこちら。

「ブルース」という音楽に対する疑問の数々は、「ブルー・ノート」に対する疑問として集約されるでしょう。今までにも数々の音楽家や音楽学者らによって様々な形で解明しようとされて来ました。しかし理論的追求を行うと、その音楽としての魅力はたちまち失せてしまい、単なる観察結果になりがちで、ブルースという音楽を捉えるには至っていません。結局、ただ指をくわえて音楽に浸るしかないものでした。

その中で、「静態的な観察を繰り返すことではブルー・ノートを理解できないし、そもそもブルー・ノートを旋法化したブルース・スケールがはらむ調性の希薄感、その復調的、多調的性格はどこからやってくるのかが問題だ。そのために、和声進行を背景とした動態的な把握が必要である」という、新たな視点で取り組んだのが、この本です。

この本は、非常に独特な音楽イメージを読者に提供してくれると言えます。著者曰く、「調性のまったく新しい構図を示すことができた」とありますが、それがどのようなことなのかを少し追ってみます。

本書は、ブルースに現れる「強進行的処理の困難な完全五度上行進行(要するにIVから I への進行)」の問題と「下方倍音列」のアイデアを元にして、論理的にブルー・ノートの発生の根拠を示すことに始まります。それを足がかりにして、下方倍音と上方倍音から発生する長短三和音の集合という「下方倍音列領域」を設定していきます。

そして、この領域の価値は従来までの調性理論が示す「根音進行」にではなく、「旋法性と和声的色彩」にあると訴えます。つまり、その下方倍音列領域内で発生し得る多数の音階を「集合和」とみなし、集合内での複数の音階の共存や、音階の変換や、別集合への移行等というような「響きの多彩さ」に音楽的価値を求めようというわけです。この領域を「復調性、多旋法(音階の集合)性を備えた領域」と呼んでいるのは、この様な理由からと考えられます。

興味深いのは、この領域が発生する根拠となったブルース・スケールは、同領域内において一貫して共存し、耐えることが出来るとしている点です。つまり、あるブルース・スケール(によるフレーズ等)が鳴り響く空間では、そのブルース・スケールから発生する下方倍音列領域の全ての音楽素材が共存可能だということになります。

逆に言えば、作者のイメージの中に明確なトニック(トーナル・センター)があれば必ずしもそれを音で表現する必要はなく、ある持続する音空間を下方倍音列領域だと自覚して音を組み立てて行くという、こういうスタイルもあり得るでしょう。そして、この時発生する微妙な調性感覚は、この領域の特徴と重なるはずです。

その後著者は「響きの多彩さ」を得る方向として、「和音を媒介とした音階の交換」を軸とする方法を提示して行きます。和音と音階の関係を洗い出す事に始まり、それをアッパー・ストラクチャー・トライアドに置き換え、そこからハイブリッド・コードの集合を得るに至ります。なお、このハイブリッド・コードを媒介として音階の交換をする様子は、その後の章で実践してくれています。

さて、ここからが本書の力のこもったところです。ここで「sus4・コード」という、調性を明確にする事を避ける、別の言い方をすればドミナント・モーションを避けるこのコードに着目します。古典和声から見れば単なる掛留ですが、ジャズの世界では「調性から浮遊したような」新しいサウンドの為の足がかりとして、古くから注目されてきたものです。

著者はsus4・コードをハイブリッド・コード化し、そのコードを集合積とする音階を洗い出して行きます。そうして確認された多旋法性(音階の集合)は、なんと下方倍音列領域で現れる多旋法性とまったく同一なのです。この発見により、既存の和音に対する見方、音楽的視点が変化することでしょう。そして、それだけに済まず、根音進行に縛られない別の音秩序(音世界)を耳にする事が出来るのではないでしょうか。

この、「根音進行に縛られない別の音秩序」と、従来の「上方倍音(自然倍音列)による強進行の世界」との表裏一体「陰と陽」状態を指して、「新しい調性の構図」としているように思われます。ある和声進行や旋律の流れを下方倍音列領域の目で見ることによって、まったく角度の違う音楽的理解が立ち上がることでしょう。まさに音楽的視点の拡大です。

以上の様に、同書は「実践的な」理論書として上質なものだと思いますが、読者の中には論旨の前提となる下方倍音列を納得できない向きもあることでしょう。著者も「数学的に言えば虚数の世界」と言うように、論理だけの世界ではない音楽においては、この点が問題となります。その点を補強する意味なのでしょうか、「結合音」という音楽音響学者ヘルムホルツの学説を用い、下方倍音列によるbVII、bIIIの発生とその基音化(三和音のルート化)が「実数の世界」でも確認できる事を示しています。

最後に。この本にはCDが付属していますので、後半に述べられている「交換と展開」は全て耳で確認できます。

※『ブルー・ノートと調性』の内容紹介はこちら。

書籍情報

『ブルー・ノートと調性』
濱瀬元彦 著
出版社:全音楽譜出版社(ISBN:4118850508)
1992年3月20日第1版発行
サイズ:279ページ