レビュー『現代音楽のポリティックス』C・ウォルフ/L・ノーノ/近藤譲/他著

現代音楽の現場に立つ五人の作曲家(クリスチャン・ウォルフ、ルイジ・ノーノ、ジャン=クロード・エロワ、ヴィンコ・クロボカール、近藤譲)各氏による講義の記録です。各作曲家が自らの作品ないしは、それ以外の音素材を聴衆に聴かせながら、音楽についての問題を提起する内容の講義を行っています。

講演後には、聴衆との質疑応答が設けられ、この部分から「現代音楽と呼ばれる音楽領域」の問題が間接的に浮かび上がってくる点が興味深いところです。2008年現在、内容的には古さを感じる部分もありますが、また今も変わらない部分にも気付きます。現代音楽に興味のある方は一読をおすすめします。

レビュー

本書は、いわゆるクラシック現代音楽と呼ばれる音楽の持つ特徴、時代との関係といったものを、作曲家達の講義禄を通して考えています。

「20世紀の芸術には問いと懐疑がある」という視点で現代音楽をみてみると、その音楽が何か近寄りがたかったり、聴き手に精神的な重さを感じさせる曲が在ることが、ある種必然のようにも感じられます。本書ではそのことを「居心地の悪さ」と表現しています。「戦争と虐殺の世紀」、「価値観の喪失」、「相対化の極北における混沌」等など。

その問いを「面白い(興味深い)」と感じ、問いを共有できるかどうか。しかし現代は、問いを拒否する、目を向けない、そんな風潮が大きく存在することも確かでしょうから、ここにも、そういった種類の現代音楽と聴き手との関係の難しさが現れているのかもしれません。さて、作曲家としては、どのような姿勢で挑めば良いのでしょうか。

この本は他のコラムでも取り上げています

積み上げる作曲 その2~『現代音楽のポリティックス』を読んで

書籍情報

『現代音楽のポリティックス』
C・ウォルフ/L・ノーノ/近藤譲 他著
出版社:書肆風の薔薇(ISBN:4891762438)
1991年2月10日発行
サイズ:206ページ

本書の目次

  • 音楽のポスト・モダン 小林康夫・近藤譲・笠羽映子
  • 音楽と社会 クリスチャン・ウォルフ
  • 現代音楽の詩と思想 ルイジ・ノーノ
  • 東洋の声=道(ヴォワ) ジャン=クロード・エロワ
  • 音楽における意味の欲望 ヴィンコ・グロボカール
  • 音楽の意味? 近藤譲
  • プロフィール 笠羽映子
  • あとがき 小林康夫

著者について

近藤譲(こんどう じょう)

1947年、東京に生まれる。東京芸術大学音楽学部作曲科に入学、長谷川良夫、南弘明に師事。現在、エリザベト音楽大学教授。芸大在学中の1970年、大阪万博鉄鋼館で催された現代音楽際「今日の音楽」で委嘱作『ブリーズ Breeze』が初演され、注目を集め、以後、自ら「線の音楽」と名づけた方法により作曲界の第一線でユニークな活動を展開している。

それは「拒絶の音楽を探し求める旅のひとつの道程である。拒絶の音楽は、音楽の拒否を意味するのではない。それは音楽がもつひとつの態度──作家が音と音楽に対してとる特定の態度のもとで作られた音楽が、作家自身、奏音、そして聴衆に対して一様に示す拒絶、音楽への人の参加の拒否である。この旅は、音楽を人間中心主義者の手から切り離すためのものなのだ」。

「線の音楽は単音から出発し、音に隙間を与え、その影を観察することによって、音の存在を音の外へ、音とその影との関係へ簒奪しようとするものである(近藤)」(本書より)

クリスチャン・ウォルフ

1934年、フランスのニースに生まれる。41年から、アメリカ合衆国に住む(国籍アメリカ)。ピアノをグレート・ゾルタンに学ぶ傍ら、作曲を独学で試み、その後ゾルタンの勧めでケージを訪ね、対位法やケージの発案した「リズム構造」の用い方などを学ぶ。他方、同時にハーヴァード大学で西洋古典学を学び、1970年まで母校の教鞭を取り、その後もダートマス・カレッジなどで古典学および音楽学を教えている。

作曲家としては、1950年代初頭から、ケージ、フェルドマンらと共にニューヨークの<実験的前衛音楽シーン>の主要メンバーとして活動、『ピアノのために 第一番 For piano Ⅰ』(1952)から不確定性を含む音楽の様々な可能性を追求。特に60年代の作品は図形楽譜によって書かれ、例えば『一人、二人、又は三人と一人の指揮者のために For 1,2 or 3 People and a Conductor』(1964)は音の微細構造の予測不可能性という考えに基づき、各奏者の発する各々の音が相互に他の奏者の発する各々の音の決定に影響を与え合うような設定をとっている。

しかし70年代以降の作品では、再び五線譜が用いられ、「コミュニケーションの問題」を再考すべきことを痛感したこともあって、作曲家自身の表現に従えば、「閉塞した」音楽ではない「外に向かう」音楽が意図されるようになった。もっとも演奏者間の相互関係を重視する姿勢は一貫し、さらに「演奏したいと思うひとならばできる限り誰でもが演奏し得るような音楽」も念頭に置かれるようになってきている。(本書より)

ルイジ・ノーノ

1924年、ヴェネツィアに生まれ、1990年、同地に没した。41年からヴェネツィアの音楽院でマリピエロに作曲を学ぶ傍ら、46年パドヴァ大学で法律の学位を取得。その後マデルナ、シェルヘンのもとで研鑽を積み、ダルムシュタット国際夏期新音楽講座(1950-59)、ダーリントンの夏期講座(1959-61)に参加した。

最初の作品『シェーンベルクの作品41のセリーによる変奏曲』(1950)、次いで『ポリフォニカ-モノディア-リトミカ』(1951)、『F・ガルシア・ロルカへの墓碑銘』(1952-53)、『ゲルニカの勝利』(1954)、『インコントリ Incontri』(1955)などを通じて徐々に、そして特にドイツで頭角をあらわした作曲家ノーノの名は、独唱と合唱と管弦楽のための『中断された歌』(1955-56)によって、ポスト・ヴェーベルンの<前衛>音楽の代表者の一人として世界的に認められるようになった。

また、ノーノの活動を特徴づけている哲学的な諸問題に対する深い関心──政治的なイデオロギーに対する関心もそこから出ている──はすでにこの頃から明らかであり、以後も『ポーランド日記』(1958-59)やテクストを伴った声楽作品『大地と仲間』(1957)(中略)などを通じて継承されていった。

「ノーノはいう。社会のために作曲するのも、社会に反対するために作曲するのも、同じことで、作曲家はいずれにしても危険を冒すことになる。今日、作曲家の主要な問題は次のようなものだ。いかにして、既成の、誤謬にみちた意味作用から音楽素材を開放し、創造的な芸術家として、このような社会に対して、自由、かつ批判的態度を堅持しえるかだ。(松平頼暁「真の創造的芸術家の死を悼んで」より)」(本書より)