レビュー『サウンド・エシックス』小沼純一 著

現在、身の回りに当たり前のものとして存在し、終始鳴り響いている“音・音楽”ですが、本書では、日常の環境の一部であるがゆえに見過ごしていること、一般的に省みられないことを丁寧に取り上げながら、「どこからどこまでが音楽なのか」という、いわば音楽の輪郭(へり)について問題提起をしながら、この著者独特の語り口で「音楽文化論」を説いていきます。

各章の最後には、参考となる文献や映画や音楽などが豊富に紹介されており、本書を切っ掛けに各人がそれぞれ掘り下げて行くことが出来ます。テーマはエシックス(倫理)と一見すると高踏的ですが、平凡社新書として出版されており、全く堅苦しくなく専門性も高くありませんので、一般読者が手にとって十分に楽しめます。むしろ、日頃音や音楽に無自覚に包まれて生活している普通の人々にこそ読んでもらいたい、そんな内容になっています。

レビュー

分かりやすい文章、柔らかい物腰といったものにつられて本書を読むと、そこには大きな問いの連続が待ち構えていたことに気付かされます。著者がいみじくも語っている様に、空気や水が環境問題として考えられ始めた様に、現在では空気や水の様に扱われている音楽を「音楽問題」として考えてみませんか、ということなのです。

街へ出ればBGMが氾濫し、駅のホームでは合図として音楽が用いられています。さて、それは音楽なのかどうか。では、何を音楽と呼んでいるのか。このまま考えていくと迷路に迷い込む、という一歩手前で、「音楽と、それを取り巻く環境との様々な関係」を横断して行きます。

当然、ここでも「作曲」について取り上げられています。「作曲者」とはどういう存在なのか、「作品」とは、「所有」とは、「作曲、演奏、享受」の正しさとは等など、当たり前のことを揺さぶられる面白さが一杯です。ですが同時に、足元がぐらつく様な不安も起こります。

そうやって、一般に音楽と呼ばれるものの前提を相対化し、自明とされていたことを剥ぎ取っていきます。そして私としては、その最後に残ったものを手に音楽と接して行くこと=耳を傾けて行くことの大切さを、感じずには居れません。

書籍情報

『サウンド・エシックス』
小沼純一 著
出版社:平凡社(ISBN:4582850650)
2000年11月20日第1刷発行
サイズ:277ページ

『サウンド・エシックス』の目次

  • イントロダクション
    • たかが音楽、されど音楽 / 音楽への新しいアプローチを求めて
  • 第1章 音楽の輪郭/へり
    • 私たちはどんなものを「音楽」と呼んでいるか / ただの音から音の組み立てへ / 数・秩序・ノイズ / 文脈によって音楽は変わる / これが音楽か?──サンプリングとジョン・ケージ / 「音という環境」──マリー=シェーファー / 「全感覚的なるもの」──マーシャル・マクルーハン / ワールドミュージック、民俗音楽 / 着メロは音楽か? / 音楽は聴き手に委ねられている / 複数の音楽を肯定せよ / 【注および作品ガイド】
  • 第2章 音楽と「場」(1)-メディアあるいは「いつでも‐どこでも」
    • あなたがCDを買うと…… / 時間と音楽 / 「ひと」と「いま-ここ」 / テクノロジーによる音楽体験 / MP3以降のヴィジョン / 時間/空間性の喪失 / 音楽と場所 / 音楽と映画 / 音楽とメディア / 楽譜というメディア / 「いま-ここ」から「いつでも-どこでも」へ / 【注および作品ガイド】
  • 第3章 音楽と「場」(2)-「いま‐ここ」あるいはノイズ
    • 音楽を聴く<あなた>に起こっていること / 音楽の生活化──「よそ」への通路 / 「一回かぎり」への関心 / 再現と即興 / 「持ち運べる音楽」と「持ち運べない音楽」 / ノイズを排除する近代ヨーロッパ / 「都市」の音楽──スティーブ・ライヒ / シリアス/ポップの軸 / 野村誠の「そのとき-その場」の試み / 音楽と「場」 / 【注および作品ガイド】
  • 第4章 「作品」を疑う
    • 音の効果 / 「音楽だ」と判断する基準 / 「曲=作品」とは何か? / 「西洋近代芸術音楽」における作曲 / 楽譜・演奏家・聴き手 / 「思念の道の音楽」と「あらかじめ準備された音楽」 / 日本の音楽? / 近代化と作品 / 作品の「はじまり」と「おわり」 / 極大と極小──M・フェルドマンと口元からもれるハミング / 【注および作品ガイド】
  • 第5章 誰から誰へ?-音楽の署名/宛名
    • ポピュラーソング、民謡、スタンダードナンバー / 芸能、そして匿名性 / 音楽の融合──ルー・ハリソン / ハイブリッド、移動 / 引用とサンプリング / 路上の歌とコンサートの演奏 / 内なる音楽 / 儀式・賛美歌・シャーマニズム / コミュニケーションとしての音楽 / カート・ヴォネガットの「ハーモニウム」 / 秘教的な性格と誤配 / ハイファイとローファイ / 音楽の宛先──どこから来てどこへゆくのか / 【注および作品ガイド】
  • 第6章 音楽のプロ/アマ?
    • プロフェッショナル/アマチュアの区別? / 金銭と職業というファクター / 他者の存在 / 「日曜作曲家」アイヴズ / 神さまに捧げる音楽 / アマチュアの思想──ロラン・バルト / マスコミ・物語・売れる / プロとアマの責任 / 【注および作品ガイド】
  • 第7章 視覚的なものと音楽の密接な関係
    • 音楽が見えていない / 映像が気づかせる音 / ゴダール『映画史』の完全サウンドトラック / 映画の音楽 / アニメーションの音楽 / ヴィデオ・クリップ / コンピュータ・ゲーム / 音楽はジャンルを越境する / メディア・アート──美術の音楽化? / 音を感じさせるオブジェ / ハイナー・ゲッベルスの《ブラック・オン・ホワイト》 / S・ライヒ《ザ・ケイブ》とR・アシュリー《ダスト》 / 譚盾の「ウォーター・パーカッション」の方向性 / 柴田南雄のシアターピース作品 / 「綜合」の地平 / 【注および作品ガイド】
  • 第8章 身体と音楽
    • キップ・ハンラハンのCDアルバム / 太鼓──手の音楽 / 音楽から立ち上がる身体 / 指──二十世紀のギター的身体 / 楽器・道具・身体 / ダンス──音楽を奏でる身体 / 芸術・詩・うた / 【注および作品ガイド】
  • 第9章 生命と音楽
    • 音楽は毒か薬か? / モーツァルトと牛の乳 / 生命に内在するリズム / 数の学問・天体の音楽・アポロン的音楽 / クジラの「唄」 / 音楽療法 / ヒーリング / 音楽は聴覚だけの問題ではない / 【注および作品ガイド】
  • 第10章 音楽の倫理-消費を越えて
    • なぜ音楽するのか? / 音楽的欲望とは何か? / 音楽的記憶とは何か? / 音楽の「消費」とは何か? / 耳馴れ・洗脳・くりかえし / 二つの消費──芸術と経済 / 消費の後に残る何か──アウラ/強度 / 音楽の倫理に向けて──「聴く」こと / 【注および作品ガイド】
  • あとがき

著者について

小沼純一(こぬま じゅんいち)

1959年東京都生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒業。音楽を中心に、文学から諸芸術にわたる横断的な批評活動を展開し、早稲田大学ほかで野心的な「音楽文化論」の講義を行っている。第8回出光音楽賞(学術研究部門)受賞。(本書より引用)