レビュー『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』岡田暁生 著

素晴らしい意欲作です。学問的な精密さや正しさを追及したものや、歴史人物たちの解説に留まりがちな音楽史の本の中で、本書は異彩を放っています。本書では“西洋(芸術)音楽”のことを「楽譜に記録された音楽」として捉えることを通じ、その各時代の社会情勢や社会構造、社会的・文化的階層をしっかりと踏まえ、音楽史の流れを大胆に物語っています。

それら社会の状況や地域性などを踏まえることにより、例えばベートーヴェンの時代における啓蒙思想との関係であったり、絶対王政下での(記譜された)音楽の在り方などが、とても立体的に浮かび上がってきます。そういったことは、これまでの音楽史の本でも散々触れられてきたことではありますが、この著者という一人の語り部の力によって、時代の変化とその連続性がダイナミックに伝わってくるのです。

著者が冒頭で「“私”という一人称で語ることを恐れない」と述べている通り、本書の特徴は著者の視点の明瞭さにあります。その辺りのことは、まえがきと第1章で詳しく述べられていますが、その成果は例えば第5章「ロマン派音楽の偉大さと矛盾」で見ることが出来るでしょう。この時代の作曲家達は言うなれば「強烈な個性のかたまり」であり、大抵の音楽史では“作曲家列伝”といった趣きになってしまい、彼らの活動の歴史的背景や社会的軌跡、そしてそれらの関連と連続性といった俯瞰的な視線がぼやけがちになります。

しかしここで著者は、十九世紀における演奏会と音楽批評の成立や、この時代に定着した音楽学校制度、さらに聴衆の重要な変化などを引き合いに出し、そういった社会の動きに翻弄・迎合・超克していった音楽家の姿を地域性を絡めながら語り、それらを大きな音楽史の流れとして浮かび上がらせます。

パリを象徴的中心として、オペラや名人芸(ヴィルトゥオーソ)音楽やサロン音楽といったものが盛り上がり、言わば“俗化”していったと共に、ドイツ語圏では「真面目な音楽」が教養主義を背景として登場し「深さや内面性」を音楽に求める傾向が生まれわけです。また、この時代に「娯楽音楽VS芸術音楽」の対立のルーツがあるという指摘をはじめ、この第5章は読み応えがあります。

ただ難点としては終盤、20世紀のポピュラー音楽の扱いは我田引水の色が濃い印象が否めません。しかし、これも著者のスタンスからくる確信的な書き方なのかもしれませんし、実際そうすることによって最後の主張も印象深いものとなっているのが事実です。

西洋(芸術)音楽がなぜ何処からやってきて何処へ流れて行ったのか、そして現在の音楽は何処から流れてきたのかという歴史の流れが、まさに文字通り“大河の流れ”として体験できる、著者の言う通り「音楽を歴史的に聴く楽しみ」を開眼させてくれる優れた一冊です。

書籍情報

『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
岡田暁生 著
出版社:中央公論新社(ISBN:4121018168)
2005年10月25日初版発行
サイズ:243ページ

『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』の目次

  • まえがき
  • 第1章 謎めいた中世音楽
    • 芸術音楽とは何か? / 初めにグレゴリオ聖歌ありき / 西洋世界の成立について / 『ムジカ・エンキリアディス』──前へ進みはじめた歴史 / オルガヌム芸術の展開 / ノートルダム学派とゴシックの世紀 / 鳴り響く数の秩序 / アルス・ノヴァと中世の黄昏
  • 第2章 ルネサンスと「音楽」の始まり
    • 「美」になった音楽 / フランドル学派の十五世紀 / 定旋律のこと / 「作曲家」の誕生 / 膨張する音楽史空間と十六世紀 / フランドル学派からイタリアへ / 「サウンド」と「不協和音」の発見──バロックへ
  • 第3章 バロック―既視感と違和感
    • バロック音楽の分かりやすさと分かりにくさ / 絶対王政時代の音楽 / オペラの誕生──ドラマになった音楽 / モノディと通奏低音 / 協奏曲の原理 / プロテスタント・ドイツの音楽文化──バッハの問題 / バッハの「偉大さ」についての私見
  • 第4章 ウィーン古典派と啓蒙のユートピア
    • 近代市民のための音楽、ここに始まる / ウィーン古典派への道 / 古典派音楽の作曲技法 / 音楽における公共空間の成立 / シンフォニックな音楽と新しい共同体の誕生 / ソナタ形式と弁論の精神 / モーツァルトとオペラ・ブッファ / ベートーヴェンと「啓蒙の音楽」のゆくえ
  • 第5章 ロマン派音楽の偉大さと矛盾
    • 十九世紀音楽──「個性」の百花繚乱 / 批評、音楽学校、名作 / ハッタリと物量作戦 / グランド・オペラとサロン音楽と──パリの音楽生活 / 乙女の祈り / 器楽音楽崇拝と傾聴の音楽文化──ドイツの場合 / 無言歌、標題音楽、絶対音楽 / 音楽における「感動」の誕生
  • 第6章 爛熟と崩壊―世紀転換期から第一次世界大戦へ
    • 西洋音楽史の最後の輝きか?──ポスト・ワーグナーの時代 / フランス音楽の再生 / エキゾチズムの新しいチャンス / リヒャルト・シュトラウスとマンモス・オーケストラ / 神なき時代の宗教音楽──マーラーの交響曲 / 越境か破局か──第一次世界大戦前夜
  • 第7章 二〇世紀に何が起きたのか
    • 第一次世界大戦の終わりとロマン派からの訣別 / オリジナリティ神話の否定──新古典主義時代のストラヴィンスキー / 荒野に叫ぶ預言者──シェーンベルクの十二音技法 / 「型」の再建という難題 / 「現代音楽の歴史」は可能か?──第二次世界大戦後への一瞥 / 前衛音楽、巨匠の名演、ポピュラー音楽 / ロマン派の福音と呪縛
  • あとがき
  • 文献ガイド

著者について

岡田暁生(おかだ あけお)

1960年(昭和35年)、京都市に生まれる。大阪大学大学院博士課程単位取得退学。大阪大学文学部助手、神戸大学発達科学部助教授を経て、京都大学人文科学研究所助教授、文学博士。著書『オペラの運命』(中公新書・サントリー学芸賞)など。(本書より引用)