レビュー『音楽を「考える」』茂木健一郎/江村哲二 著

タイトルからは大上段に構えたシリアスな印象を与えますが、実際には平易な言葉によって柔軟で軽妙な対話が繰り広げられており、取っ付き難さはありません。本書が「ちくま新書」としてではなく「ちくまプリマー新書(学生や若年者向け)」として刊行されていることからもそれは伺えます。

その内容は、「耳を澄ます。聴くということ」の大切さをつくり手と聴き手の視点から改めて再認識してゆく、ということに尽きます。つくり手においては、自分の内なる響きに耳を澄ますということ、そのことに真摯に向き合うことを江村氏は言葉を重ねて主張されています。特に第1楽章では、やさしい語り口ながらも密度の高い主張がなされており、こういった考えに馴染みが無かった人にとっては大きな刺激となるでしょう。

その文中、中沢新一氏の言葉を引き合いに出し、「創造=起源にさかのぼること」という発想が「聴くことの重要性」につながっていくのではないかということや、「聴く」ということが自分のコアの部分(起源に近いところ)へとさかのぼっていくことと重なるイメージがある、という茂木氏の指摘は、個人的に興味を引かれました。

江村氏の言葉は、つくり手としての実感から生まれたストレートなものが多く、「作曲とは基本的に“聴く”という営み」という一言にも、その背景にある作曲活動の積み重ねとその軌跡がエピソードとして語られることで説得力が生まれています。「聴くことと創造することは“創出と享受”というような関係ではなく、聴くことは自分にぴったりあった何ものかを探すという意味で創造的な行為なのだ」という茂木氏の主張も、デュシャンの「レディーメイド」の話と相まって印象的です。

江村氏は、作曲家の近藤譲氏と同じように自らの創造行為へ目を向けて、言葉を用いてそれをすくい上げることが出来るタイプの人だと思います。近藤氏は過去に「線の音楽」という形で自身の作曲を語られていましたし、その後も音楽への根源的な問いを重ね、著作を発表し続けておられます。江村氏にも同様に、作曲活動の進展と併せて創作に対する思索を深め繰り広げてもらいたかったのですが、叶わぬこととなってしまったのが残念です。

本書では、具体的な作曲技術については特に触れられてはいませんが、作曲でのフロー体験(没入状態)のことをはじめ、「(創作というものの本質は)自分の胸を切り裂いていくことに近い」ということなど、印象的な文章が散見されます。自ら「楽曲を書いている自分という存在が大変不思議」と述べていることからも伺えるように、そのナイーブで繊細な問いの姿勢から紡がれる言葉はストレートに響いてきます。

書籍情報

『音楽を「考える」』
茂木健一郎/江村哲二 著
出版社:筑摩書房(ISBN:4480687602)
2007年5月10日初版発行
サイズ:191ページ

『音楽を「考える」』の目次

  • まえがき──「聴く」ということ 江村哲二
  • 第1楽章 音楽を「聴く」
    • 世界には掛け値なしの芸術作品が存在している / モーツァルトが抱えていた「闇」は創造の本質を物語る / 世にも美しい音楽と数学の関係 / 「耳を澄ます」という芸術がある / 自分のなかにある音を聴く《4分33秒》という思想 / 創造するとは、自分自身を切り刻むということ / 「聴く」ことが脳に及ぼす影響とは?
  • 第2楽章 音楽を「知る」
    • 西洋音楽を考える基本要素──楽譜中心主義 / 日本人としてのオリジナリティ / 「頭の中で鳴る音楽」は自分だけのものか? / 「作曲は自分の音を聴くこと」──ジョン・ケージの問題提起
  • 第3楽章 音楽に「出会う」
    • 芸術とポピュリズムの狭間で / 現代音楽入門──無調・12音技法はなぜ生まれたか? / クラシックは「ブーム」たり得るか? / 世にも不思議な「一回性」という麻薬 / 名演が生まれるとき、「迷演」となる?! / 米国産「ミュージカル」は好きですか? / クラシック音楽の台所事情
  • 第4楽章 音楽を「考える」
    • クラシックは日本に浸透するか? 「一%」の高い壁 / 「お子様向けクラシック」を排除しよう! / クラシック音楽の多メディア的展開 / 「美しさ」の感知は、最初のインプットが肝心 / 美や真理は批評なくしては生まれない / 日本にも辛口批評と野蛮人精神を! / 音楽の密度と思考の密度はイコールである / 人生の転機はホメオスタシスの一部である / そして、生命哲学の問いが、音楽と結びつく
  • あとがき──音楽の精神からの「誕生」 茂木健一郎
  • 文献・作品ガイド

著者について

茂木健一郎(もぎ けんいちろう)

1962年東京都生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授(脳科学、認知科学)、東京芸術大学非常勤講師(美術解剖学)。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。著書は『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『「脳」整理法』『意識とはなにか』(以上、ちくま新書)、『脳と創造性』(PHP研究所)など、多数。ワーグナー、モーツァルトをはじめ、音楽への造詣も深い。(本書より引用)

江村哲二(えむら てつじ)

1960年兵庫県生まれ。作曲家。金城学院大学人間科学部教授(作曲学)。名古屋工業大学大学院修了。作曲を独学で学び、内外での受賞歴多数。第2回ウィトルド・ルトスワフスキ国際作曲コンクール第1位、平成4年度文化庁舞台芸術創作奨励特別賞、第4回芥川作曲賞、第9回ブザンソン国際作曲コンクール第1位。(本書より引用) 2007年6月逝去。