レビュー『完本・管絃楽法』伊福部昭 著

出版以来、管弦楽法の最高峰としての地位を不動のものとしてきた名著であり、「管弦楽作品を書くためのバイブル」と呼ぶべき本です。自らが管弦楽法の名人でもある著者による内容は、その学者的な探究心と精緻な分析力によって、楽器法の詳説のみならず、音響効果、聴覚に与える影響、心理的効果までもが解説されており、ほかに類を見ない質とボリュームを併せ持っています。

新版であるこの「完本」では、旧版が上下巻の二巻組みでA5サイズだったものが、B5に一回り拡大し2段組に編集しなおされ、全ての内容が一冊にまとめられています。旧版では難読であった旧漢字は新漢字に改められ、著者の味わいのある文体はそのままで読みやすいものとなりました。譜例と図版は約1,000点、索引項目は約5,000項目もの多数に及ぶことからも、本書の濃密な内容が伺えるでしょう。

管弦楽の作編曲に携わる人は必携と言って過言ではなく、実際、ジャンルを超えてバイブルとする音楽家も多いです。作編曲の初心者や音楽愛好家がいきなり読むタイプの本ではありませんが、本格的に管弦楽法を身に付けたい人は、いずれ間違いなく向き合うことになるであろう一冊です。

レビュー

本書の秀逸な点は、楽器法が詳細であるとか、辞書的な網羅性が高いなど、数々挙げられますが、最も声を大にして言っておきたいのは、「管弦楽の共同効果」について膨大な紙面を費やして考察・解説されているという点です(※下記「本書の目次」で項目を詳細に挙げていますので、そちらも参考にして下さい)。

具体例として、「音の強さと強弱対比」では、オーケストラの特色のひとつである「ダイナミクスの豊かさ」を実践する際の具体的な注意点とその対策について、各種の実験結果やレポートを持ち出しながら詳細に検討されています。例えば、mf と mp が一小節の中で交代する楽想が繰り返される場合、聴き手側には、繰り返されるに従って強弱の対比が強調されて認識されるということや、音高の変化がもたらす強弱変化のことなどが解説されています。

また、二つの音の内の一方の音量を次第に上げていくと、終にはもう一方の音が聴こえない状態になるという現象、すなわち「音の隠蔽作用」についての項目もあります。「一般に、振動数の多い音は振動数の少ない音によって隠蔽され易い」という現象を取り上げ、声部進行において下方の声部を“強く・重く・厚く”書くと上方の声部が隠蔽されてしまうという指摘をはじめ、実践的かつ大切な内容が詳細に書かれています。

さらに、「楽器各族の音色特性」では、各楽器音を波形分析しつつ、倍音構成の特徴や各種奏法での音色の特徴を多角的に論じており、その詳細さと内容の実用性はこの管弦楽法の特筆すべき点です。

例えばオーボエの場合、ダブルリード特有のノコギリ波状の波形がもたらす多様な部分音(倍音構成)のことと、緩やかな円錐形の共鳴筒がもたらす整数次倍音とそれらの共鳴拡大効果に触れ、各種実験資料を提示しながらこの楽器の各音域における音色特性を解説しており、オーボエが管弦楽の中にあって他の音群より浮き出て聴こえる現象の必然性とその扱い方の話に至ります。

また、ホルンの場合、フォルマント(形成音)が全音域に渡って均衡が取れていることから、単独においては滑らかな音色として知覚されるということ、しかし、フォルマントの最低音付近より下の音域では基音の含まれる割合が次第に減少していくこと、などが解説され、差音が鳴る状態に陥ったホルンが他の音群と組み合わさった際に生じる問題点が述べられています。

それら両者の特質を持ったファゴットの解説においては、低音域における差音の影響をはじめ、音色特性について注意深く解説されていますし、こういった具合にオーケストラ楽器全てにわたって書かれているのは圧巻です。

このような解説を通して読者は、管弦楽法において差音(Difference-tone)の概念をはじめとした音響知識が大切であることを知らされるでしょう。目の前の音符の組み合わせと、実際の音響現象として目の前に現れるものとの違いに、改めて謙虚に立ち向かう必要を感じます。

「管弦楽の共同効果」の後半では、「音の太さ」「音の量感」「量感に基く、音色の融和と分離」「聴覚の選択作用」「聴覚の疲労と倦厭感」など、音楽表現における重要な要素について、ここでも実験データを引用しつつ、また心理学的な視点も踏まえながら実践的なアドバイスがなされており、この部分だけでも類書とは一線を画す内容になっています。

管弦楽という西洋音楽のひとつの精華に関する書物が、この日本で生まれたということは驚くべきことです。伊福部昭と言えば映画音楽での功績ばかりがピックアップされますが、改めて賞賛すべきは本書「管弦楽法」を書き上げたことにあると思います。

書籍情報

『完本・管絃楽法』
伊福部昭 著
出版社:音楽之友社(ISBN:4276106834)
2008年2月27日初版発行
サイズ:528ページ

『完本・管絃楽法』の目次

  • 第一編 管絃楽法概論
    • 第一章 汎論
      • 管絃楽法 / 管絃楽の性能 / 聴覚とその錯覚
    • 第二章 組織と編成
      • 組織 / 編成 / 総譜と配置
  • 第二編 楽器各論
    • 第一章 管絃楽群
      • 絃楽器の発音原理 / 絃楽器各論
    • 第二章 木管楽器群
      • 木管楽器の発音原理 / 木管楽器各論
    • 三章 金管楽器群
      • 金管楽器の発音原理 / 金管楽器各論
    • 第四章 打楽器群
      • 打楽器の発音原理 / 打楽器各論
    • 第五章 編入楽器
      • 絃を発音体とする楽器 / 簧を発音体とする楽器 / 電気楽器 / 人声
  • 第三編 管絃楽の共同効果
    • 第一章 器楽観の歴史
    • 第二章 管弦楽を支配する基礎的な音現象と聴覚機能
      • I 音の高さに随伴する現象
        • 音の高さとその感度 / 結合音 / 附記 Blue-Note / 調性的統合とOrthosymphonie / Vibrato / TrilloとShakes / 差音(Difference-tone) / 音の心象上の高さ / 音程とその旋律文脈における歪 / 音の協和と融合 / Stumpfの音の融合法則 / 持続時間に伴う協和感の変容
      • II 音の強さに随伴する現象
        • 音の強さと強弱対比(1.休止を挿まない場合の強弱対比 2.強弱対比の反復 3.休止を挿む強弱対比 4.背景音を伴う場合の休止を挿む強弱対比 5.音自体の時間的長さに依って生ずる強弱対比 6.減衰振動音の強弱対比 7.高さの異なる音の強弱対比 8.音色の異なる音の強弱対比)
        • 音の隠蔽作用 / 音の心象上の強さ
      • III 音色に随伴する現象
        • 音色の成因と形成音(Formant) / 音の波形とスペクトル / 広義の音色
      • IV 楽器各族の音色特性
        • 1.木管楽器の音色特性
          Faluto,Piccolo(特殊音色/極限音域) / Oboe,Corno,Inglese(特殊音色/極限音域) / Clarinetto,Clarinetto basso(特殊音色/極限音域) / Fagotto,Contrafagotto(特殊音色/極限音域)

        • 2.金管楽器の音色特性
          Corno(特殊音色/極限音域) / CornoのHand-Techniqueとその指示語 / Tromba(特殊音色/Sordinoに依る音色効果/極限音域) / Trombone(特殊音色/Sordinoに依る音色効果/極限音域) / Tuba(特殊音色/極限音域)

        • 3.弦楽器の音色特性
          High-Positionの音性 / Violino(Scordatura) / Viola(Scordatura) / Violoncello(Scordatura) / Contrabasso(Scordatura) / 弦楽器の特殊音色

        • 4.打楽器
          Timpani(特殊音色/極限音域) / Piatti(特殊音色)

        • 5.特殊楽器
          Arpa(特殊音色)
      • V 音の諸要素に関連する現象
        • 音の太さ / 音の量感 / 量感に基く音色の融和と分離 / 聴覚の選択作用 / 音の方向定位と聴空間(管弦楽の配置) / 聴覚の疲労と倦厭感 / 附記.音と色との関連

著者について

伊福部昭(いふくべ あきら)

1914年北海道生まれ。北海道大学を卒業後、独学で作曲を学び、1935年「日本狂詩曲」でチェレブレン賞第1位。1943年「交響譚詩」でビクター管絃楽懸賞第1位・文部大臣賞を受賞。日本民族の感性を基調とした作品を多く作曲した。東京芸術大学、東京音楽大学で教鞭をとり、芥川也寸志、黛敏郎、石井真木など優秀な作曲家を育てた。本書の元である「管絃楽法・上巻」は1953年初版、1968年大幅改訂。「管絃楽法・下巻」は1968年初版。「ゴジラ」の音楽でも知られた。2006年2月8日没。

主要作品:日本組曲、日本狂詩曲、土俗的三連画、交響譚詩、シンフォニア・タプカーラ、ヴァイオリン協奏曲第1番/第2番、ラウダ・コンチェルタータ、交響的エグログ、リトミカ・オスティナータ、サロメ、アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌、琵琶行、など多数。(本書及び出版社サイトより引用)