プロジェクト10 「統一感とヴァラエティ:12小節から12音へ」

(このページはプロジェクト9 「新しい耳」からの続きです。詳しくは「読んで欲しいこの一冊」をご覧下さい。)

最後に、『音楽をつくる可能性』プロジェクト10の実践内容の紹介とレビューです。

細部から全体へ、全体は細部と共に

ここまで「こだわりブックレビュー」をご覧になった方は、作曲行為の中身と呼べるものについて、つまり「音楽的アイデアをつくること」と「その成長、拡大、発展」を経て、「特別な時間づくりをして行く」といったことについて、その一部分を知って頂けたのではないかと思います。もちろんその全てを説明することは不可能です。やはりそれは、各人が自らの頭と体を通して体験するべきもので、本書はその「良きガイド役」なのです。

旅の観光ガイドは、興味深い場所や珍しい場所へ案内してくれます。しかし、そこで何を感じ取るかは、まさしく本人次第ということになるのです。同様に、本書をガイドにして色々な「音楽づくり体験めぐり」をして頂きたいと思います。

さて、本書がガイドしてくれる音楽づくりにおいては、音楽的アイデアとその発展が基本になって作曲のプロセスが進んで行きますが、そこにはさらに重要な要素があることが、このプロジェクト10.「統一感とヴァラエティ」で説明されています。以下は冒頭の導入文からの引用です。

私たちは1つの音楽作品を聴く中で、自分が今どこにいるのかを知らねばならない。ちょうど見知らぬところへ行った時に、目印になるものを見つけ、それを覚えておくのと同じだ。音楽に関してはこれは特に難しいものだ。音楽が続いていく中で、聴いたものを覚えておかなくてはならないからだ。作曲家の立場から言えば、これはなぜ音楽の進行のさせ方にいくつもの条件をつけなければならないのか、そしてこうした条件の中で音楽を進ませていく時に、なぜこんなに注意深く音をコントロールしなければならないのかという重要な理由でもある。(本書p151より)

このプロジェクトでの課題は、これまでにも増して具体的な音の操作を伴う、高度なものになっています。つまり、作曲をしている人が技術とセンスを磨くためのトレーニングとしても、充分に耐え得る内容になっているのです。その中の「課題5」を見てみましょう。

鍵盤上で3種類の和音を組にしたものをいくつかつくってみよう。3つの和音は互いに近接した音にすること。こうすると手の形にうまく合って、和音間の移行がスムーズに簡単にできる。それとともに、3つの和音にはそれぞれできるだけヴァラエティも持たせるように。(本書p154より)

ここで言う「和音」とは、必ずしも「長和音(メジャー・コード)」や「短和音(マイナー・コード)」というような基本的な形だけを指しているのではありません。もっと広い範囲での「音の集合」を和音として扱っています。例えば、「C,D,E(実音表記)」という音の集合は、一般的には不完全な形の和音として扱われますが、ここではこれも同等に扱います。 

その「3種類の和音の組」の例として、次のようなものが挙げられています。「D,G,B」「C,E」「Db,F,G」(実音表記。Bは所謂Hの意)、この内うしろの二つは不完全な形の和音ですが、ここでは「ヴァラエティのある3種類の音の集合」であることが重要です。しっかりと聞き耳を立てて、それぞれの和音の差異を感じ取りたいものです。

このようにして出来た3つの和音を使って、課題は先へと進んで行きます。続きを見てみましょう。

できた3つの和音を伴奏として用い、メロディをつくろう。まず和音にリズム・パターンを与える。そしてこのリズムで演奏する。演奏しながらその上でメロディを即興してみるのだ。(本書p154より)

この実践例が本書に譜面として掲載されています。そこでは、3つの和音がリズムに乗り「和音のパターン」として繰り返されるその上に、自由なメロディが紡ぎ出されています。ここでの即興でも、先のプロジェクトで触れた「アイデアの発展」という視点を生かしてみると良いでしょう。

「3つの和音で即興演奏」と言って思い浮かぶのは、やはり「ブルース」でしょう。シンプルなブルースのコード・パターンをこの3つの和音で置き換え、その伴奏の上で即興をしてみると得るものが多いと思います。本書でも「和音のパターン」の有名なものとしてブルースを取り上げ、実際に和音を「独自の音の集合」に置き換えて、それにふさわしいメロディを考えるということを課題にしています。

さて、ある音楽作品が「ひとつの曲」と感じられるのは、その曲に何らかの「統一感」があるからだと言えます。もしも、はじめて耳にする曲の中間辺りに「長い無音部分」があったとしたら、そこで一曲目が終わって、その後二曲目がはじまった様に聞こえるかもしれません。つくり手は全体で一曲のつもりで作曲したものが、聴き手には二つの曲として受け取られてしまうことが考えられます。

しかし、その無音部分を挟んでいても、その前後の間に「統一感」があれば、聴き手は両方で一曲だと受け取る可能性が高くなるでしょう。冒頭で引用した言葉を踏まえるならば、「聴き手を迷子にさせず、魅力的な音楽体験を与える」ために、統一感は欠かせないものなのです。そして、統一感を音楽に持たせるための技術とセンスを身に付けることが、このプロジェクトの目的ということなのです。

簡単なところでは、先ほどの「3つの和音」のみを使うことによる統一感の創出が、それに当たります。ある音楽的アイデアを元に発展させたメロディにも、そこに成長の過程が表れていれば統一感を持たせることが可能です。単純な方法としては、あるリズムや伴奏、メロディをひたすら繰り返すことによっても、「多様性と引き換え」にして統一感を得ることが出来ます。

そうなのです。統一感を音楽に与えることで、聴き手に「心に残るひとつの音楽体験」を提供できるのですが、そこには「単調で飽きやすい音楽体験になりかねない」という危険も、隣り合わせで存在しているのです。

そこで、統一感と併せて「ヴァラエティ」という要素が重要になってくるのです。柔軟に変化、拡大して行くフレーズやリズム、和声等が、聴き手の興味を引き付け楽しませます。時に、予想も出来なかったようなアイデアが繰り出され、さらに聴き手は耳をそばだてます。ちなみに、ヴァラエティを得るための単純な方法としては、次々と新しいフレーズやリズム、和声等の音楽要素を繰り出していくことが考えられます。しかし、これは聴き手にとって、捕らえどころの無い「迷子になりやすい曲」となっていまい、結果としてこれは「統一感と引き換え」になってしまうものです。そして聴き手は、「訳の分からない音楽だった」と感想を残して去って行くことになるでしょう。

つまり作曲者にとって、この「統一感とヴァラエティ」のバランスをコントロールすることが、とても大切になってくるのです。そして、プロジェクト9.のところでもお話しした「前進と後退」の要素を、ここに関係させてやることが重要です。例えば、アイデアを慎重に拡大してフレーズをつくって行ったものの、統一感が強くて飽きてしまいそうな部分で、前進感を強めること(音量やリズムの変化等)によって聴き手の興味を掻き立て、全体としてのバランスを図ったり、また、細かくて多様な、一見関係性の薄いフレーズが続出する部分で、ひとつの伴奏パターンをひたすら繰り返しておいたり、といったことが実際に考えられるでしょう。

音楽的アイデアという小さな「種」は、音楽全体の流れと大きく関係し、音楽全体は、細かな要素の有機的な関係の結果として立ち現れてきます。よく言われる、「部分は全体に、全体は部分に関係する」という言葉の意味を、このような作曲によって実感することになるでしょう。

この様に、こういったことをコントロールすることが作曲の技術の一面であり、それを音楽的に判断するセンスを含めたものが作曲行為の内容と言えるのではないでしょうか。本書のプロジェクト10.では、このことが実例を踏まえながら詳細に述べられており、さらに実践的な課題が続いて行き、最終的には「音列作法(セリー)」という現代音楽の手法を用いて、これらをコントロールすることを体験して行きます。このように、質、量ともに充実したプロジェクト9.と10.が本書の山場と言えると思います。

ピッチ(音程、音高)の重要性と不思議さ

本書の課題を試された方の中には実感されている方もあるかもしれませんが、何らかの音楽的アイデアを「ピッチ」と無関係に考えたり、また、「ピッチ」と無関係に発展させたりすることは、想像以上に難しいものではないかと思います。即ち「リズムだけでつくる音楽」の困難さについてです。

1931年、ヴァレーズという作曲家が「イオニザシオン」というリズムだけの曲をつくりましたが、そこでもピアノやチューブラー・ベルといった「ピッチのある楽器」が使われていましたし、その曲の特徴のひとつである「サイレン」の使用においても、「ウ~ウ~」という具合にピッチの変化が利用されていました。とは言え、この曲の価値を貶めるものではありません。ただ、同じように作曲をしてみるならば、相当な困難が伴うと思うのです。

逆に言えば「ピッチ」という要素は、それだけ微妙で大胆な操作の対象として特徴的だ、ということではないでしょうか。著者も次の様に語ります。

音色、テクスチュア、強弱、リズム等の他の要素も音楽の進行に微妙に影響するが、何といっても細かく区別をつけることのできる大きな可能性がピッチにはあるのだ。ピッチをほんの半音動かすだけで、ハーモニーや対位法的な方向が劇的に変わってしまう。世界中の音楽を見渡して最も重要な特徴と言えるのは、形式を拡大してきたということだろう。このような形式の”拡大による発展”を可能にしてきたのが音と音程なのである。インドのサンギータ(訳注:一般的に音楽を指す)、ガムラン、日本の雅楽、フーガ、ソナタ等の音楽的アイデアは、いずれもピッチの微妙なニュアンスをもとに、糸を紡ぐように拡大されているのである。(本書p162より)

これは見方を変えると、人の聴覚は、ピッチの変化とその連続に対して敏感である様に、そもそも特徴付けられているのかもしれません。そして、人の発声器官である「喉」の仕組みが「ピッチの変化とその連続」を表すのに適していることと、関係がある様に思います。この辺りのことはフィールドを広げて見て行く必要があるでしょう。

何より不思議なのは、複数のピッチが重なることで、そこに新たな音楽的意味、即ち和音が生まれるということです。そして、人の聴覚はそれをしっかりと感じ取れるのです。当たり前の様に聴いていた音楽との関係も、一度つくり手にまわって音と向き合うことによって、大きな問いや不思議と出会うことになります。「豊かな音楽体験を実感するために作曲を」と薦められる所以です。

終わりに際して

実は、本書にはかなり多くの「脚注」があります。いわゆる「欄外の関連情報」というもので、これが非常に充実しているのです。そこには付加情報といったものから、より本質的な話題まで、多岐に渡っています。その中には、古今の研究家や教育家といった人々の言葉も引用されており、見識が広がります。その全てをお見せできないのが残念ですが、本書をお読みの際は、本文と併せてこれら脚注にも注目してみて下さい。

さて、本書はこの後、「音楽的な時間の流れ」について詳しく実践的に取り組んで行くことになります。既述の様に、音楽体験が聴き手に「特別な時間体験」を与えるものだとするならば、その時間体験をより効果的にコントロールすることが、作曲において重要で、かつ興味深く面白い要素だと言えるでしょう。

「音楽をつくる可能性」の凄さは、感情が揺さぶられたり、引き込まれたりしながら進んで行く「特別な時間体験」を、様々なアプローチによって実践して行き、結果として、音楽を「全体として深く感じ取ることが出来る」ようになれるところにあるのでしょう。ぜひ皆さんにも、本書を通して「時間の流れ」をつくり出し、それを感じ取る体験をしてみて欲しいと思います。

最後に、冒頭において本書の限界についてお話ししましたが、改めて言うならば本書は作曲についての万能書ではありませんし、作曲についての“真理”が書かれた教典でもありません。著者の立脚点はあくまでも西洋音楽にあり、言うなれば絶対音楽思想の延長線上にあるものだと考えることが出来、それが限界を生み出しているのだとも言えるでしょう。

しかし、著者が我々に伝えようとしていることは単なる空理空論ではなく、著者の長年の経験に基き自信に満ちたものです。音楽に対する多様なアプローチの中でも、かなりの深さまで降りて行ける骨太なルートとして、その存在価値は多大なものがあるでしょう。

以上、ひとりでも多くの人に本書を読んでもらいたいと願いつつ、レビューを終わりたいと思います。

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