古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その1

■山田 耕筰(作曲家)
「作るのではない。生活から生むというのが私の創作上の信条だ。生むまでの苦心、日一日の精進だ、精励だ、刮目だ。いささかの油断も無い、全く言語に絶えた、真剣な生活そのものだ」

■フレデリック・ディーリアス(作曲家)
「音楽に何か別のものを模倣させようとするのは、音楽に“おはよう”とか“良いお天気ですね”と言わせるのと同じ位くだらないことである。他の方法では表現し得ないものを表現できてこそ、音楽に値するものである」

■ルドルフ・レティ(音楽学者)
「なぜ音楽では、ひとつの音群には或る一定の音群だけが続き得て、たまたま調やリズムなどが適合する任意の音群は続き得ないかということは、どの音楽家にとっても重大問題のはずだ。実はこれは、単純素朴な疑問どころか、作品の仕組みの問題の核心となる根本問題なのだ」

ルドルフ・レティ 著:「名曲の旋律学」より

■ベラ・バルトーク(作曲家)
「今日の音楽は決定的に無調性の方向に向かって進んでいます。しかし、私達が調性の原理というものを、無調性の原理の絶対的な対立物として把握するならば、これは正しくありません。無調性の原理というものは、むしろ調性の機能が次第に緩められていく形で発展していった結果、導き出されたものです。しかも、この調性機能の発展は段階的、連続的に進められたものであって、そこにはどのような断絶も飛躍も見られません」

ベラ・バルトーク 著:「バルトーク音楽論集」より

■デューク・エリントン(作曲家)
「世の中には二種類の音楽しかない。良い音楽と、悪い音楽だ」

■ミッシェル・カミロ(ピアノ演奏・作曲家)
「いろんな人達が僕の曲を演りたいと言ってくれるんだけど、みんな誤解している。知識がジャズの一面にだけ偏ってしまっていて、オーディションをすると他の面に対する理解が全く欠けているのがわかる。物事を育てて展開させて行こうと思うなら、その根源を探っていくことはすごく重要なことなんだ」

■伊福部 昭(作曲家)
「作曲はやはり、音楽が持っている自律性で完成されることが最重要であって、その完成の認定にあたって、尺度の根底に民族性というのが出て来るんだと思います。決して、民族性が芸術における最後のものではありません。私達でも、古いギリシャのものや、アジアから発掘したものからひどく感銘を受けますよね。これは民族性というものの他に芸術としての自立的な完成度があるという証拠です」

相良侑亮 編:「伊福部昭の宇宙」より

■パウル・ヒンデミット(作曲家)
「音楽が引き起こす反応は感情ではなく、そのイメージ、つまり感情の記憶である・・・。夢、記憶、音楽への反応-。これら三つはすべて同じもので出来ている。絵画、詩、彫刻、建築物・・・それらは-音楽とは対照的に-感情イメージを解き放つことはしない。そのかわり本物の、変形されたり修正されたりしていない感情に訴える」

パウル・ヒンデミット 著:「作曲家の世界」より

■リヒャルト・ワーグナー(作曲家)
「音楽が表現するもの、それは常に変わらぬもの、計り知れないもの、理想的なものである。つまり、何かの機会に何処の某が抱いた情熱とか、愛情とか、憧れとかではない。情熱、愛情、憧れそのもの、ありとあらゆることが原因で生じるこの感情そのものを表す。これこそが、音楽にだけ許された独特の性格であり、他のいかなる言語もこれには適さず、表現することが出来ない」

アンソニー・ストー 著:「音楽する精神」より

■スザンヌ・ランガー(哲学者)
「つまり、音楽は、いわば繊細で感じやすい人生の“どうしてもそうならざるを得ない姿”、自己洞察の源のようなものを表現していると言っているのである。共感を訴えているのではないのだ」

アンソニー・ストー 著:「音楽する精神」より

■クロード・ドビュッシー(作曲家)
「バッハには、音楽というものがそっくり全部含まれていますが、バッハは和声学の方式を軽蔑していました、本当ですとも。そんなものよりも、音響の自由なたわむれのほうが、彼には大事だったのです。平行し、交錯する音の曲線は、思いがけない開花を用意していました」

クロード・ドビュッシー 著:「音楽のために」より

■イーゴル・ストラビンスキー(作曲家)
「音素材をただ想像しながら創作するよりも、それに直に触れながら作曲するほうが、千倍も望ましい」

■近藤 譲(作曲家)
「ロマン派以後、音楽の感情表現性を大事にするにつれて、細部構造というものが、作曲家にとっては、ある程度までどうでもよいものになってきた、という歴史があるような気がします」

■アントン・ウェーベルン(作曲家)
「思想を表示することの全ての最高の原理はわかりやすさという法則です。楽想がわかりやすくなるためには何が行われなければならないのでしょうか」

■ピエール・ブーレーズ(指揮・作曲家)
「創作者の批評活動は、書き著わされようが、単に考えられるだけであろうが、創作者自身の創造に不可欠なのだ。それは結局、書かれたあるいは書かれない“航海日誌”である」

ピエール・ブーレーズ 著:「参照点」より

■別宮 貞雄(作曲家)
「多くの作曲家は、素人の表現論者に対しては音楽の自律性、音そのものの完全性を主張するものであるが、そして作曲するにあたって意識の上ではそのつもりで努力するものであるが、それだけが全てではないということは知っているものである」

別宮 貞雄 著:「音楽の不思議」より

■ツッカーカンドル(音楽学者)
「一般に言われている音の三要素、つまり、高さ・長さ・色彩は音の物理的性質であって音楽的質ではない」

国安洋 著:「音楽美学入門」より

■ダリウス・ミヨー(作曲家)
「ポリトーナリティもアトーナリティにも作曲家の想像や幻想に、より広い領分と、より豊かな表現と、より複雑な音階とをあたえるだけのものである」

■チック・コリア(ピアノ演奏・作曲家)
「学習や練習で何かを知ることは可能だが、一方、新しい能力(可能性)について考え、それを創り出すことによって未知のことを知ることも可能なのだ」

山下邦彦 著:「チックコリアの音楽」より

■ハンスリック(音楽学者)
「音の中に或る感情の直接的流出を許す行動というものは、一音楽作品の創作にあるのではなく、むしろその作品の再生、すなわち演奏にあるのである」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■イーゴル・ストラビンスキー(作曲家)
「作曲家は自ら自分の必要とする抵抗を創造しなければならないのである」

■武満 徹(作曲家)
「作曲の仕事というのはやはり、何かをそこに書くというよりも、最初に自分が聴くということがその本質だと思うのです。作曲家はなによりもまず最初の聴衆なわけですから」