古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その2

■シェーンベルク(作曲家)
「芸術とりわけ音楽における形式の目的は、まず判り易さにある。楽想・展開・論理が把握できれば聴き手も満足でき開放感を感じられる。これは心理学的に言えば、美感と密接な関係をもっている。だから芸術的価値が判り易さを必要とするのは、知的満足だけでなく感情的満足のためである」

シェーンベルク 著:「作曲の基礎技法」より

■シェーンベルク(作曲家)
「音楽家が大衆的な曲、つまり皆に判り易い曲を人に言われてでなく自ら思い立って書かねばならぬ場合、次のことを肝に銘じておかねばならない。(1)人には判るものしか判らない。(2)人は(a)明確である(特徴がある・造形的である・すっきりしている・はっきりしている)、(b)何度も繰り返される、(c)長すぎない・・・場合しか、曲を理解できない」

シェーンベルク 著:「作曲の基礎技法」より

■シェーンベルク(作曲家)
「一般に音楽はできるだけ多くの極小・小・中・大部分の反復によって判りやすくされない限り、比較的理解し難いどころか理解することさえできない。理解のための第一条件は結局のところ記憶にある・・・。だから音楽では形が判りにくく覚えにくいものは正しく理解できない。例えば特徴に欠けたもの、曲が複雑な場合ならそこから派生するすべてのもの、そこから生じる全てのものは正しく理解できない」

シェーンベルク 著:「作曲の基礎技法」より

■ジョン・ホワイト(作曲家)
「私が知る限り多くの人達は大抵のクラシック音楽を断片的なフレーズとしてしか聴かず、本当に気に入った箇所が現れるまでじっと待ち、大体はラフマニノフの“パガニーニの主題による狂詩曲”の第十八変奏が終わるとエキサイティングなコーダが現れるまでスイッチを切っている」

ニコラス・クック 著:「音楽・想像・文化」より

■スティーブン・マックアダムズ(音楽学者)
「音楽を聴くことは視覚芸術を見たり詩を読む場合と同じように、どのような芸術家によっても参加者側の創造的行為・・・と考えられているし、事実またそのように考えられねばならない。音楽を知覚することは作曲行為の一種であり、意識的・意志的な作曲行為になり得る。だから芸術家に要求されるのは知覚する者に多くの“認識”の可能性を与える形式を生み出すことであり、知覚する者がそのつどその形式から新しく作品を作曲できる、多様な可能性を持つ構造を実際に生み出すことである。それは本質的に創造的たれという要求を知覚につきつける芸術との関わり方を必要とする」

ニコラス・クック 著:「音楽・想像・文化」より

■ジョン・ケージ(作曲家)
「何でも音楽として聴けば音楽になる」

■スチュアート・ハンプシャー(音楽学者)
「音楽は聴き手が知的能動性をもって聴く時、またその時にのみ芸術として理解される。知的受動性をもつだけで音の表面的な動きにしか注意を払わぬなら、聴き手は音楽を娯楽としてしか扱っていない・・・。自分で作品の構造を追い、自分で自然な想像・音楽的な記憶を働かせることによって聴き手は自己の精神にその印象を刻みつける。作品に合わせて行われる聴き手のこの精神活動が興味深くなければ作品も芸術作品としては失敗である」

ニコラス・クック 著:「音楽・想像・文化」より

■ハンスリック(音楽学者)
「美の究極の価値のあるところには感情も直接にまた明瞭に存在するということを私は否定しない。しかしながら普通一般に行われているような感情に何ごとをも訴えるようなやりかたからはただ一つの音楽的法則さえをも導き出すことが出来ないと確信している」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■ゴットフリード・ヴェーバー(評論家)
「音芸術は音によって感覚を表現する芸術である」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■ズルツァー(評論家)
「音楽は我々の情熱を音によって表現する芸術で、言語において語を通じてこれが行われるのと同様である」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■J・モーゼル(評論家)
「音楽とは“一定の感覚を規律化された音によって表現する芸術”であると定義する」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■J・N・フォンケル(評論家)
「“音楽における型”を次のごとく解する。“詩や雄弁術についていわれるものと同じである。すなわち、感覚や情熱が自己を表現せんとする際のよりどころとなる種々の異なった種類の表現である”」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■ナイトハルト(評論家)
「音楽の終局目的は、あらゆる情緒を単なる音とそのリズムを通じて最優の雄弁家にも劣らぬほどに興奮させることにある」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■C・F・ミハエリス(評論家)
「音楽は音の変化によって諸感覚を表現する芸術である。音楽は情緒の言語である」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■J・PH・キルンベルガー(評論家)
「旋律的な一章(主題)は感覚の言語に属し、理解が可能であるひとつの文章である。感覚しうる聴者はこの文章により彼にもたらされた情感の状態を感ずることが出来る」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■A・アンドレ(評論家)
「音楽とは感覚や情熱を描写し、活動させ、楽しませるところの音を作り出す芸術である」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■F・ハント(評論家)
「音楽は感情を表わす。あらゆる感情とあらゆる情感の状態はそれ自身その固有の音とリズムを持ち、したがって音楽においても固有の音とリズムを持つ」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■フェルモ・ベルリーニ(評論家)
「音楽は音の手段によって情緒と情熱を表現する芸術である」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■フリードリヒ・ティールシュ(評論家)
「音楽とは音の選択と結合によって感情と情感の気分を表現し活動させる芸術である」

ハンスリック 著:「音楽美論」より

■ハンスリック(音楽学者)
「まず第一に、音楽は“感情を表現すべきである”という一般に流布した考えに反対するのである。だからといって、このことから私が“音楽の絶対的無感情性を要求する”のだと結論することは出来ない。バラはにおう。しかしバラの“内容”は“香りの表現”ではない。森は影深き涼しさを拡める。しかし森は“影深き涼しさの感情”を“表現する”のではない」

ハンスリック 著:「音楽美論」より