レビュー『音楽史と音楽論』柴田南雄 著
大変に個性的な音楽史の本です。
冒頭ではタイムスケールが縄文時代(石器時代)から始まり、考古学的に史実を列挙しながら音楽文化の変遷を追っていき、そのまま古墳時代・飛鳥・平安・鎌倉さらにその先の各時代へと、同時期の西欧の文化状況との比較考察が続いていきます。
本書の面白さは、日本と西洋の音楽を、古代から現代に渡って双方等しく目を配りながら考察することによって、結果として日本の音楽史がこれまでにない形で明瞭に立体的に浮かび上がってくる点にあります。
音楽史と言えば、まず、才能を持った強烈な個性によって時代のくさびが打ち込まれ、それが各地へ伝播していくという、いわゆる西洋の天才中心主義的な視点のものが上げられるでしょう。
しかし『音楽史と音楽論』はそれとは大きく異なり、日本と西欧の人々の音楽活動・営みについて常に比較考察の姿勢を崩さず、大きな文化の流れやうねり──東西音楽文化が類似する時期と、日本の受容学習期の歴史的なサイクル──に着目しているのが特徴です。
その結果、日本文化に対する視野がグッと広がる感覚が味わえる、類まれな一冊です。
それを感じられる部分は多々ありますが、いくつかランダムに引用してみます。
ここで「源氏物語」に、貴族の奏楽場面が非常に多いことを指摘しておこう。(中略)公的な場の奏楽よりも家庭音楽において、しかも歌だけでなく器楽アンサンブルで音楽して楽しむことが彼らにはできたのである。「源氏物語」に現れる奏楽場面の85%は、こうしたプライヴェートなコンサートであるというデータもある。(p101)
ヴァーグナーのオペラ「タンホイザー」は、1207年にテューリンゲンの領主ヘルマンが主宰したヴァルトブルクの歌合戦の伝説をとり入れているが、まさにこの時期に、前記後白河法皇主宰の今様合(いまようあわせ)が盛んに行われているのはおもしろい。(p105)
元来、ザビエルが属するイエズス会は音楽を重視せず、むしろ、ヨーロッパでは修道院内での楽器の廃止などをすすめていた。しかし東洋の布教地では、音楽典礼がいかに効果的であるかを、出先の宣教師達は本国に縷々報告し、くりかえし歌の使用許可を求めた。
(中略)信徒の奏楽の巧みさはしばしば滞日宣教師たちを驚かせ、前記のように信長、秀吉はじめ諸大名を魅了した。約一世紀にわたり、実に多くの日本人が聖歌を歌い、洋楽器に触れ、さらに多くの人々がそれをきいた。聖歌も単旋律のグレゴリアンのみならず、むしろ多声歌曲であるカント・ドルガンの記録が頻々と見える。(p151)
西洋の教会音楽の領域が日本に欠けている点を除けば、彼我の状況はスタイルの相違を越えて、よく似ていると思うので、筆者は江戸時代の音楽を以前から《ニッポン・バロック》としばしば戯れに呼んでいるほどである。(p162)
このような文章に興味をひかれたならば、ぜひ一読をおすすめします。
書籍情報
『音楽史と音楽論』
柴田南雄 著
出版社:岩波書店(ISBN:4006003102)
2014年4月16日発行
サイズ:304ページ
『音楽史と音楽論』の目次
- はじめに
- 放送大学における音楽学の講義 / 「音楽史と音楽論」について / 「音楽史と音楽論」における時代区分について
- 1.外来音楽と日本人
- 『日本』へのヒトの渡来と音楽的祖先 / 音楽史に特有の構造について
- 2.音楽文化の深層を探る
- 縄文時代の日本の楽器 / 諸外国の古代の楽器
- 3.祭祀の音楽
- 弥生・古墳時代の日本の楽器 / 同時代の中国の楽器 / 同時代の西洋の楽器
- 4.制度化と学習
- 大陸からの音楽の輸入と雅楽寮の設立 / この時代の主な楽器 / 雅楽と声明の伝来 / 西洋における聖歌の集大成と聖歌学校の創設
- 5.芸術音楽の胎動期
- 平安時代の日本の音楽 / 西洋の単旋律聖歌・世俗歌と、多声音楽の発生
- 6.諸国を行脚する音楽
- 鎌倉・南北朝時代の日本の音楽 / 西洋のさまざまな声楽曲種と記譜法の成立
- 7.ルネサンス
- 室町、戦国、安土・桃山時代の日本の音楽 / 西洋ルネサンス音楽の開花
- 8.キリシタン音楽
- ザビエルの来日とキリシタン音楽の初期 / セミナリヨの創設と天正の少年使節 / キリシタン音楽の日本音楽への影響 / 今も歌いつがれる隠れキリシタンの《オラショ》
- 9.東と西のバロック音楽
- 上方芸能優勢の江戸時代前半 / 西洋バロック音楽の盛期
- 10.古典派=ロマン派
- 元文以後、江戸時代後半の邦楽 / 東西の音楽のあり方の相違
- 11.隆盛の絶頂と無からの出発
- 西洋音楽は創造活動の絶頂期 / 《無》の状態からの吸収・模倣
- 12.両大戦間の状況
- 西洋音楽は新古典主義の時代 / 日本の音楽──その演奏と創作活動
- 13.第二次大戦後の作曲界
- (A)音列音楽(ミュジック・セリエル) / (B)初期の電子音楽 / (C)ミュジック・コンクレート / (D)偶然性の音楽 / (E)諸民族の音楽語法の借用 / (F)ミニマル・ミュージック / (G)ロマン主義の復興
- 14.第二次大戦後の演奏界
- 作曲の時代様式との平行関係 / 録音による演奏の比較 / 時代の音楽様式を決定するもの
- 15.未来の展望
- ヒトの年齢 / 世界の諸文明の年齢 / 諸芸術連鎖説 / 西洋音楽史におけるサイクル現象について(第一講への補遺) / 気候変化と半音階様式の相関関係 / 音楽史のリズム論について / ヴィオラの「世界音楽史──四つの時代区分」 / 未来の音楽はどのような形をとるか
- あとがき──柴田南雄
- 再刊版のあとがき──笠原潔
- 解説──佐野光司
- 索引
著者について
柴田南雄(しばた みなお)
1916-1996年。作曲家・音楽学者。東京生まれ。1939年東京大学理学部卒業。43年同文学部卒業。東京芸術大学、放送大学などで教鞭をとる。
主な作品に『コンサート・オブ・オーケストラ』『ゆく河の流れは絶えずして』『追分節考』『宇宙について』、主な著書に『日本の音を聴く 文庫オリジナル版』『グスタフ・マーラー』(以上、岩波現代文庫)、『わが音楽 わが人生』『声のイメージ』(以上、岩波書店)、『西洋音楽史 印象派以後』『音楽の骸骨のはなし』(以上、音楽之友社)、『王様の耳』(青土社)などがある。