主題構造という作曲要素~『名曲の旋律学』を読んで

※『名曲の旋律学』の内容紹介はこちら。

クラシックの交響曲に代表されるような「大きな作品」の特徴は、見方を変えれば、「あの大きさにも関わらず全体がバラバラにならず、ひとつの音楽として統一感を感じることが出来ること」と言うことが可能だと思います。そして、作曲をされたことのある方なら、それがいかに困難なことかがご理解いただけるかと思います。

乱暴な言い方をすれば、ただ大きな曲、つまり演奏時間がただ長いだけの曲というものは、つくろうと思えば簡単に(それなりの手間は掛かりますが)出来るものです。それは、断片的な旋律を前後の脈絡無く、ひたすらダラダラとつなげることによって可能になります。しかし、聴き手にとってそういう曲はどう受け止められるのでしょうか。

仮にひとつひとつの旋律が魅力的だったとしても、並べたことによる前後関係によって、その魅力も変化することでしょう。それに、みな同じように魅力的だったならば、相対的にはどんぐりの背比べになり、結果としてどれも印象に残らない、ということになってしまうでしょう。演奏時間は長くて大きな作品だが、ただ退屈なだけになってしまいます。

そこで作曲家は、例えば作品に起承転結というような構成を持ち込もうとします。いわゆる「ドラマツルギー(劇作法)」の導入です。並べる旋律に価値順序を設定し、主役や脇役を配置します。時には嵐の前の静けさがあったり、カタルシスを得られる激しさや静謐さを演出したりします。

こういったことをはじめ、大きな作品を成り立たせるための手法には色々なものがあるのですが、西洋音楽には「主題操作」という手法があり、これが作品の統一感を出すための大きな力のひとつになっています。

本書は、その「主題操作」に注目し、独自のアプローチを試みたものです。クラシックの名曲と呼ばれるものを例に、そこで行われている主題操作の解読を試み、いかに作曲家が主題となるモチーフを元にして曲全体をつくり出し、結果的に統一感を生み出しているか、ということを検証して行きます。

一見、曲中における主題探し、モチーフ探しをしているだけではないか、と思われるかもしれません。例えば、ベートーヴェンの「運命」における、あの有名な「ダダダ・ダーン」というモチーフを譜面上で探すことは、それ自体難しいことではありません。「ここにもある、そこにもある、あっちにもある。だから統一感がある」と言うことにどれほどの意味があるのか、と思ってしまうところです。そして、つくり手側からしてみれば、あるモチーフを曲中にばら撒いたり機械的に組み合わせることが作曲の実際なのだ、と言われているような違和感を感じる部分でしょう。

しかし、著者はそんな「部品探し」をしているのではなく、まして、機械的にモチーフという部品を組み立てることが作曲なのだとも言いません。さて、著者の言わんとすることに近付く前に、音楽の構造のひとつである「和声構造」について、少し見てみることにしましょう。

和声構造、つまり具体的な和声進行、ポップスならコード進行をつくる時、無意識の内に自分の好みの進行や癖といったものが出て、結果的に満足のいく進行が出来上がるということは、割とよくあることだと思います。また逆に、理論の拡大解釈に拠ったり、一般的でない進行を意識的に計算ずくでつくることも、同様によくあることだと思います。

つまり、日頃から意識的、無意識的に和声構造を操っているということです。著者も例えていますが、これは言語の扱いと同様です。言葉を話す時には話の内容は意識しますが、文章や句の扱いは大抵、無意識のうちに行っているものです。和声構造をつくることに慣れてくると、その響きが表す音楽性は意識しますが、その操作自体(効果的なボイシングや和音の基礎知識、連結や変位のノウハウ等)はあまり意識しないようになります。そして、逆に意識することによって、いつもと違った和声構造の操り方を実践したりもするのです。

そういう和声構造に人が触れた時、それが意識的であったり無意識的であったりすることに疑問を差し挟むことは無いと思います。「意識的につくることもあるだろうし、無意識のときもあるだろう」と理解するものでしょう。そうしてここで著者は、「主題構造」も同じものなのだと言います。ただ、今まではそれが隠されていて説明が成されて来なかった、という訳です。

あるモチーフの扱い方を意識したり、あるいは気に留めず、曲全体(話の内容に当たるもの)に気を使いながら意識的、無意識的に主題操作を行い、結果として「主題構造」をつくり上げて行くということです。では、作曲家はその主題構造によって何を目指すものなのでしょう。

作曲家は、主題の同一性を示すために作曲するわけではない。内的な同一性が”論証できるかどうか”など、彼にとってはどうでもよい。一つの共通の主題的な基盤にたって、曲全体を構築したという事実が重要なのだ。聴き手が「潜在意識的回想」によって、一見、異なる表現を、一つの首尾一貫した全体として受け入れるだろうことを、約束するからである。ほかでもない、これが、主題技法の究極の目標なのだ。 (p225)

つまり、曲中、和声の豊かな響きに心奪われることと同じ様に、曲に統一感を感じることがあれば、その時、その統一感に心奪われているのです。そしてそれが、主題構造の目標とするところだということです。作曲中、統一感が生まれているかを感じ取りながら、意識的、無意識的に主題操作の技術を駆使することが、作曲の重要なファクターとなってくるのです。

ですから本書が、インスピレーションに満ちたすばらしい旋律を前にして、それが主題構造上、計算ずくに見えるということを示しても、何ら矛盾することではありません。そのことを頭に置きながら本書を読み進むと、理解が深まると思います。そして、「主題構造」を自らの作曲要素のひとつとして加えることが、本書によって可能になってくるのではないでしょうか。

こうしてみると、それこそ「意識していなかっただけ」で、作曲をされている人の中には、この要素が自然と身に付いている方も居られるかもしれません。また、そうでなかった人も、「和声を学習する様に」それを身に付けることも充分可能でしょう。そして、和声構造の”感覚”を経験によって深めていく様に、主題構造の”感覚”も経験によって深めていくことが大切で、なにより「面白いこと」だと思います。

※『名曲の旋律学』の内容紹介はこちら。

書籍情報

『名曲の旋律学』
ルードルフ・レティ 著
出版社:音楽之友社(ISBN:4276131936)
1995年8月10日第1刷発行
サイズ:342ページ