クラシックがクラシックである理由~『クラシックを聴け!』を読んで
今回は、舌鋒鋭い批評を繰り広げている許光俊氏の「クラシックを聴け!」を取り上げてみます。本書はサブ・タイトルに「お気楽極楽入門書」とありますが、その内容は鋭く、下手な音楽書を読むよりも作曲に対する考察につながると思われます。
著者のクラシックに対する視点は、「特定の時代の或る地域における文化的狂い咲き」という地点にあります。そして、その成立や目的とするものを理解せずに「或る種類のクラシック」に接すると、その理解は難しいと説きます。
その理由は、19世紀ヨーロッパの文化的特徴である芸術思想によります。フランス革命により宗教的権威の失墜した世の中においては、「個」によって超越(神なる存在)に触れようとしました。それは、芸術が宗教としての意味合いを持つことに繋がって行きました。
今までならば宗教によって与えられ、人々にとっては自明のものであったことを、「個人」が改めて表明して行きました。すなわち、「個」による「超越」への接近です。「世界とは何か」というような問いに対して、人々は様々な作品を通して答えようとしました。この活動を芸術と呼ぶならば、お気楽に聞き流せる音楽だとは考え難くなります。
また、その後それとは反対に、超越そのものを否定する動きも起こりました。宗教的権威の失墜、ブルジョワの隆盛による唯物的な世の中においては、超越的なものは軽んじられて行き、19世紀も終わりに近付く頃には、かの有名な「神は死んだ」という一節でおなじみのニーチェが現れます。この様に、独特で微妙な文化的背景がある訳です。
ですから、クラシックは難しいし、むしろ簡単だと言うことは無責任でもあると著者は言います。宗教的なバック・ボーンに乏しい現代の人々にとって、その様な背景を持つクラシックを理解することは容易ではないという訳です。
また、それとは別に著者は「美には二種類ある」として、「感情移入型の美」と「抽象的な美」を挙げます。この辺りの平易な説明は、今までに有りそうで無かったものと言え、とても参考になります。そして、山川草木に感動することや、圧倒的な巨大人工物に対する畏敬の念に通じるものを「抽象的な美」とし、それは音楽によっても得られるということを説いて行きます。また、抽象的な美を感じることの特徴として、人間を超えた何ものかに対する気持ちが在ることを指摘しています。この点を指して、芸術が宗教としての意味合いを持つことにつながるのだ、と説いているものと思われます。
その後、選りすぐった数曲を例に挙げながら、論を進めて行きます。そして、「シンメトリー(対称)」「バランス」「繰り返し」という要素が「抽象的な美」を感じさせる重要な要素であるとし、これらと、「二元論」「弁証法」「終末論」という当時のヨーロッパにおける文化的特徴とが融合した結果の頂点が、ブルックナーの交響曲であり、またクラシックの最期であったと結論します。この辺りは実際に手にとって読んで頂きたいところです。
この本を理解することによって、ある作曲の姿勢というものが見えてくると思います。それに対しては各人が様々な感想を持たれることと思います。また、楽式論に対する見方が変わるかもしれません。ソナタ形式の新たな理解というものが生まれるかもしれません。しかし、その様な枝葉末節はともかく、この様なクラシックを現代の日本の私達が作り出すことは不可能に近いのではないかということです。
形を真似ることは出来るでしょう。聞き手を唸らせることも出来るかもしれません。しかし、その深奥に当時の作曲家と同じ様な精神を持つことが出来るのでしょうか。私も試みましたが、やはりそれは形を真似ただけの曲になっていると感じます。そう在らねばならないという必然性から来る、凄みや気迫が無いからでしょうか。言えることは、私は19世紀ヨーロッパ人では無いということです。
広大な音楽という世界は、作曲という行為と聞き手の感性によって形作るものだとするならば、その世界の一角には、もはや新たに手を付けることの出来ない領域があるのかもしれません。それは、過ぎ去った時代だからという理由では済ますことの出来ない「何か」があるからなのだと思います。
著者は冒頭で「クラシックは、すでにほとんど滅びている」と語ります。それがどの様な意味なのかは、順を追って読んでいくことで自ずから見えてきます。そして、他者の「作曲という行為」の生々しさを想像することの難しさを痛感させられ、自然と自分の作曲に目が行くのではないでしょうか。著者の軽妙で、かつ刺激的な文章の中には、手強い「きっかけ」が詰まっている様です。
余談ですが、挿絵は著者によるもので、これが良い味を出しています。
書籍情報
『クラシックを聴け!』
許光俊 著
出版社:青弓社(ISBN:4787271008)
1998年9月30日第1版発行
サイズ:275ページ