はじめに──
作曲という行為は、作曲者にとっても、また周囲の人にとっても、「なぜそれが出来るのか分からないもの」という風に捉えられることが多い様に思います。作曲においては、他の表現(絵画、造形、演劇等)に比べて「ひらめき(インスピレーション)」が重視される傾向がありますが、これは「作曲行為の不思議さ、分からなさ」の裏返しなのではないかとも思えます。
例えばスポーツ選手の試合や演技は、必要とされる体力・技術といった「目に見える部分」と、スポーツセンスとしか言い表せない「感覚的な部分」との関係で、ある程度は捉えることが出来ると思います。しかし作曲行為に対しては、かなりの部分を感覚的なものとして捉えようとしているのではないかと感じます。
こう言って良ければ、「作曲行為の神聖化」という状態が存在しているのかもしれません。ですが、出来あがった作品から理解を超えた何かを感じることがあるからと言って、その創作過程全てを不可侵なものとしてしまうことは、作曲者の技術や努力、積み重ねといったものを見えなくしてしまい、かえって「本当に感覚的な部分」を蔑ろにしてしまうことになるのではないでしょうか。
これからご紹介するコラムは、作曲を深めて行くために新たな視点を得ようという思いを持って書かれています。言うまでも無く、作曲のためには色々な音楽に触れ、感じることが大切です。基本的に音楽は学問ではありませんし、言葉で全てを捉えることが出来るものでもありません。
そんな中、言葉の限界をわきまえることで、結果的に今までとは違った角度から“音楽の素晴らしさ”に気付くことが出来るのではないでしょうか。それでは、ごゆっくりコラムをご覧下さい。