レビュー『大作曲家が語る 音楽の創造と霊感』アーサー・M・アーベル著
(※本書は『我、汝に為すべきことを教えん』を改訳・再編集したものです。以下の文章は以前の版にもとづいて書かれたものです。)
ブラームスやR・シュトラウス、グリーグなど、19世紀末の著名な作曲家たちへ「霊感(インスピレーション)とは?」と問いかけた貴重なインタビューが収められています。
一見すると“時代錯誤”としか思えないような内容と表現にも見えますが、作曲家が作曲するとき彼の中では何か起こっているのか、そんな疑問に真正面から取り組んだ労作であり、ひらめき・インスピレーションについて、創造性について、登場する作曲家達は自らの言葉でその源泉について語っています。
このテーマについて、この時代の作曲家自らが語ったものがまとめられたものとして、資料的にも貴重な存在と言えるでしょう。
ただ、キリスト教圏の人々ということもあり、その背景には神学の要素が強く表れているため、日本の読者には飲み込みにくい部分も散見されます。しかし、それらを広く信仰心として捉え、人間を超越した存在への畏怖という視点で読み解くことで、彼らの創造への姿勢を理解することが出来ると思います。
レビュー
副題は「作曲家が霊感を得るとき」とあり、のっけからスピリチュアルな印象を与えますが、訳者も述べるように、「霊感=インスピレーション」として読むことで主題を理解して行けることと思います。つまり、“ひらめき”とは何か、それは何処から訪れるのか──。
ブラームスは言います。「私は恍惚状態で睡眠と覚醒の間をさまよっている。意識はまだあるが、失おうとするちょうど境目におり、霊感に満ちた着想が湧くのはそんな時だ。真の霊感はすべて神から発し、ただ内なる神性の輝きを通してのみ、神はご自身を顕すことができる。この輝きのことを、現代の心理学者は潜在意識と呼んでいる」
──この言葉をはじめ、こういった表現を読んでいて思い起こされるのは、チクセントミハイの言う「フロー状態」のことです。高度な集中や没頭を通じて成される精神活動の成果の背景には、大抵このフロー状態が伴っているものです。それは興奮や酩酊状態や熱狂といったものとは違い、むしろそれとは正反対の意識状態です。
人にアイデアが浮かぶプロセスについては、経験論から導き出されたものとしては『アイデアのつくり方』ジェームス・W・ヤング著が有名ですが、脳科学的にも、「そのテーマを徹底して考え抜く時期」「それを忘れる時期」「新たなアイデアとして“ひらめく”瞬間」というプロセスが妥当なものであるとされているようです。
目の前の取り組みに没入するフロー状態と、徹底した熟慮とその忘却(一時的な放置)、そして、“ひらめき”を重視する分野ではとかく軽んじられがちな「鍛錬された高度な技術」が融合し、その幸せな成果として作品が生まれる、本書を読みながらそんなイメージを持ちました。
ブラームスの、「永遠の価値を持つものを書きたいと望むなら、霊感(インスピレーション)と職人芸の両方を必要とすることを実感して欲しい」という言葉は、霊感の大切さと同時に、それを具現化するための高度な技術が必須であることを訴えかけたものであり、ブラームスの創作姿勢を振り返ったとき、そこには当時の作曲界への苛立ちや嘆きのようなものを感じもします。
しかし本書がもつ力は、そういった感想で留まらせてくれません。印象的だったのは、ブラームスとR・シュトラウスがそれぞれ異口同音に「霊感を得て作曲している者は全体の数パーセントに過ぎないだろう」と述べていることです。
「意識の心のみで書かれている。純粋に頭の中で作られたもので、まったく霊感を欠いている」──そういった作品はすぐに忘れ去られてしまうと言い、当時の人気作曲家の作品がだめな理由としてそれを語っています。その背景には、よき音楽がもつ「人智を超えた何ものかによる力」とそれをもたらす存在(神・詩神)への畏怖が存在しており、そのためか、登場する作曲家達の言葉からは終始“謙虚さ”が醸し出されています。
手持ちの技術を小手先で扱い「音楽の体を成すもの」をつくる──そのような作曲に陥ることを戒めてくれると共に、作曲者としての自分が音楽を生み出しているというよりも、「音楽という力が発現される場」に自分も関わらせてもらっているのだ、という謙虚さに立ち返らせてくれます。
こういうタイプの本を歴史的・文化史的観点から相対化し距離をとることは簡単ですが、私としてはどうしても退け難い、離れ難い魅力を感じましたし、創造(クリエイト)の文字通りの意味・意義を振り返ったとき、この本が扱う領域に相対することは一種避けられないことなのかもしれません。
書籍情報
『大作曲家が語る 音楽の創造と霊感』
アーサー・M・アーベル 著
出版社:出版館ブック・クラブ(ISBN:4915884686)
発行日:2013年1月31日
サイズ:375ページ
『大作曲家が語る 音楽の創造と霊感』の目次
- 「序」に代えて / はじめに / 出版社より / 謝辞
- ヨハネス・ブラームス
- 第1章
- ブラームスとヨアヒムが霊感について語る
- ブラームスがベートーヴェンを自らの導き手とする
- ブラームスは神とどう意思を通じ合ったか
- ブラームスがモーツァルトを手本とする
- ブラームスと詩の女神への祈り
- 宗教的ながら非正統派のブラームス
- ブラームスが「マタイの福音書」七章七節を引用する
- 老子はどのように神性を身につけたか
- 第2章
- ブラームスとイエスの奇跡
- ダニエル・ホームが空中を歩く
- ダニエル・ホームがパリで霊力を示す
- 盲目(ブラインド)トムとジーラ・コルバーン
- ダニエル・ホームの伝記
- 第3章
- 無神論についてのブラームスの意見
- ブラームスがテニソンの創造の概念に魅了される
- テニソンがダーウィンと創造について論じる
- 不滅の魂についてのテニソンの見解にブラームスは畏敬の念を払う
- 第4章
- 著者の故郷にブラームスが関心を持つ
- ヴィクトリア女王とシッティング・ブル
- ブラームスとタルティーニと悪魔
- シェイクスピアとミルトンにブラームスが敬意を払う
- 第5章
- ブラームスはなぜ不滅を信じたか
- ブラームスとミルトンの詩神(ミューズ)への祈り
- ブラームスが隔絶の重要性を強調する
- 第6章
- ほとんどの作曲家は不毛の努力を重ねている
- シュポアの近視眼をブラームスが批判する
- ブラームスによる天才の定義
- 高揚した気分の中でブラームスは何を見たか
- ブラームスとウィラモヴィッチと十字架上の盗賊
- ブラームスは五十年間の非公開を約束させる
- 第7章
- ブラームスの証言にヨアヒムはどう反応したか
- ブラームスの中傷者をヨアヒムが分析する
- ブラームスの伝記を概観する
- 第1章
- リヒャルト・シュトラウス
- 第8章
- 1890年のワイマールとシュトラウス
- シュトラウスと彼の自宅にて
- シュトラウスが霊感の源泉について語る
- シュトラウスが霊感が《タンホイザー》を振るのを聴く
- ワイマール──1890年代の文化の中心
- 最初のエルザとテルラムントに会う
- 品格に満ちた女性
- 作曲家の感謝
- 歴史的な場面
- 第9章
- R・シュトラウスがアレクサンダー・リッターについて語る
- シュトラウスはエマソンに異議を唱える
- 《ドン・ファン》に対するラッセンの反応
- シュトラウスの最初の歌劇《グントラム》を聴く
- シュトラウスが《サロメ》を作曲していた頃
- 第10章
- ドレスデンでの《ばらの騎士》初演
- シュトゥットガルトでの《ナクソス島のアリアドネ》初演
- シュトラウスの晩年
- 第8章
- ジャコモ・プッチーニ
- 第11章
- 《ラ・ボエーム》《トスカ》《蝶々婦人》の作曲家に会う
- 《蝶々婦人》初演の大失敗
- プッチーニがどのように神性を身につけたかを語る
- プッチーニによる《ラ・ボエーム》の舞台設定
- 第12章
- 象牙の塔(トッレ・デル・ラーゴ)と巨匠(マエストロ)
- プッチーニは《ラ・ボエーム》をどのように作曲したか
- プッチーニがトスカニーニに熱烈な賛辞を贈る
- 台本と調和しない音楽
- プッチーニは悲しみを長調で強調する
- 第13章
- イタリア人の基本的な性格
- プッチーニが《トスカ》の作曲過程を語る
- 戯曲《蝶々婦人》はプッチーニをどのように魅了したか
- 第11章
- エンゲルベルト・フンパーティンク
- 第14章
- フンパーティンクがワーグナーの作曲過程を語る
- ワーグナーはシェイクスピアからきっかけを得る
- フンパーティンクは作曲家としての自分を卑下する
- 第14章
- マックス・ブルッフ
- 第15章
- マックス・ブルッフとト短調ヴァイオリン協奏曲
- マックス・ブルッフが霊感について語る
- ブルッフによるブラームスの評価
- 晩年のマックス・ブルッフ
- 第15章
- エドヴァルド・グリーグ
- 第16章
- エドヴァルド・グリーグとノルウェー語法
- オーレ・ブルがグリーグをニルス・ゲーゼの影響から解き放つ
- ヤーダスゾーンが生徒にからかわれる
- 第17章
- ヤーダスゾーンがグリーグの手法を批判する
- ヤーダスゾーンの批判に対するグリーグの反応
- ブラームスの見解へのグリーグの反応
- オーレ・ブルの演奏に対するグリーグの印象
- ロングフェローによるオーレ・ブルへの賛辞をグリーグが引用する
- 一回限りで謝礼二万五千ドルの演奏会をグリーグが辞退する
- 第16章
- おわりに
- 訳注 / 訳者あとがき / 参考文献一覧 / 聖句一覧 / 人名索引
著者について
アーサー・M・アーベル
著者のアーサー・M・アーベルはジャーナリストの家系で、自らも『ミュージカル・クーリア』誌の音楽記者となり、1890年、二十八歳でウィーンに赴任する。アマチュアのヴァイオリニストでもあり、ドイツ語やイタリア語にも長け、ボストンやニューヨークでは多くの演奏家や音楽批評家と交友があった。その中には、ボストン交響楽団指揮者アルトゥール・ニキシュや、ニューヨーク・フィル指揮者ウォルター・ダムロッシュ、東海岸で著名な音楽評論家フィリップ・ヘイルらが含まれる。