音楽史を通して立脚点を見つめなおす

ここ最近は、音楽史に関する良書に出会うことが多く、個人的な収穫に恵まれている状況です。

ざっと挙げてみると、『音楽未来系』『西洋音楽史』『東京大学のアルバート・アイラー』等など。

特に、20世紀の音楽史をひとつの物語的な流れとして把握することによって、80年代~90年代には自分なりに必然と思っていたことについて、その色合いが変わってきました。

その年代は、コンピュータ技術が経済の発展と二人三脚になって爆発的に社会に浸透し始めていた時期にあたります。一般家庭のデジタル化の黎明期といえるかもしれません。

そんな時期、子供だった私は、当時のパソコンの持つその「デジタルなコントロール感覚」にひと目でハマってしまい、音楽制作(打ち込みのはしり)とプログラミングの真似事に没頭し始めることとなります。

当時音楽といえば、好きだったテレビゲームを通じて知ることが多く、結果的にカタログ的な音楽体験となっていたようです。幅広いジャンルの音楽(の転用や借用、アレンジ)を聴く機会が得られて良かった反面、音楽史的な理解や自分の音楽的立ち位置を自覚する機を逸していたのではないかと思います。

その時の聴き方は、「どういう音楽が“効く”のか」という、今で言う「薬理的な音楽聴取」のはしりだったのかもしれず、つくり手を自任しながら音楽の消費というプロセスに無自覚に乗ってしまっていたようです。

結果として能力や見識の不足を招く一因となり、自分の音楽に対する要所での総括をし損ねたり、ビジョンを失ったりすることになるわけです。

当時もっと触れておいた方が良かった音楽の存在のこと。様々な音楽のそれぞれのルーツと変遷。当時の音楽、作曲に対する姿勢や志向。その頃に少しでも「歴史に学ぶ」という意識があればと、今になって思っている次第です。

まあ、気づいたときが変われるとき、ということでポジティブに考えることにします。