プロジェクト7 「音楽的アイデアを発展させる」

(このページはプロジェクト5 「発展のためのポイント」からの続きです。詳しくは「読んで欲しいこの一冊」をご覧下さい。)

続いて、プロジェクト7 「音楽的アイデアを発展させる」の実践内容の紹介とレビューです。

即興から始める

このプロジェクトでは、音楽的アイデアを発展させることについて取り上げられています。以下は、プロジェクト7.「音楽的アイデアを発展させる」の冒頭に記されている導入文です。

音でできたアイデアをふくらませ、展開することによって音楽ができる。そんなアイデアの中に、これを発展させて完全な音楽作品にするために必要なものを、ほとんど見ることができるものである。そしてアイデアが特徴的で明確なものであればあるほど、アイデアが指し示す音楽形式全体がどんなものであるかがはっきりわかるものだ。(本書p104より)

先のプロジェクト5.では、音楽的アイデアという「種」をつくることを体験してきました。そしてそこでは、そのアイデアが成長して行くことの一端を垣間見ました。このプロジェクトでは、アイデアが成長して行く過程を体験することに、その主眼が置かれています。そしてその体験は、作曲行為の具体的な実践なのだということに気付かれるはずです。

さて、素朴な疑問が頭をもたげます。音楽的アイデアが成長して行く、発展して行くと言っても、何を持って「成長、発展」と呼ぶのでしょうか? まるで細胞分裂の様に、機械的に育って行くものなのでしょうか? それとも、単に作曲者の内面に起こる憑依的なものを、そう呼んでいるだけなのでしょうか?

その謎を解くカギが、このプロジェクトにあります。本書の「課題2」を見てみましょう。

いくつかの楽器を使い、2人ペアになるか3人で音楽的アイデアを考え出そう。これを、ずっと登っていったりずっと落ちていったりする動きを持ったものにする。音階上を単に上がり下がりするだけではなく、もっと何か独特のものになるように。(中略)最初に思いついたことにいつまでも固執しないこと。できるだけたくさんの可能性を試してみよう。自分が今実験している音に聞き耳をたて、できるだけ正確にやってみよう。(中略)

アイデアの形がすっかり満足のいくようなものになったら、これを使って即興演奏をする。もとのアイデアを絶えず新しくし、少しずつ変化させ、前進させ、互いにジグザグに動かしたりする。(中略)たった1つのアイデアからどれだけたくさんのものを生み出せるかを知るために、どんどん即興演奏を続けよう。進むべき方向は、アイデア自体のおもむくままにまかせよう。(本書p105より)

実際に考えてみます。二人が音を出しながら相談し、次のような二つのアイデアが生まれました。一人は、スタッカートで強く演奏する「ドミソ!、ミソラー!」というものを考えました。もう一人は、それとは違う「登っていくようなアイデア」として、弱くてゆったりとした「ミーレーミファ、ソーラーシー」というものを考えました。

前者は、「ド(レ)ミ(ファ)ソ」というように音階を一段飛ばしにする部分が多く、歯切れがよいのが特徴です。後者は、音階をなぞる様に流れるところが特徴です。共に、ずっと登っていくような感じのするアイデアだと言えます。さて、この段階では、二つのアイデア共に単なる「種」でしかありません。どんなテンポで、どんなリズムで、どんな風に音楽になって行くのか、まだ分かりません。

では、課題にある様に、これを使って二人で即興演奏をしてみます。演奏と言っても、なにも高度な演奏技術を駆使する必要はありません。指一本でピアノを叩くことしか出来なくても、その範囲で出来る演奏で充分です。肝心なのは、自分達の出している音に聞き耳を立てる、ということです。

とりあえず二人は、歩く程度のテンポに乗せて、四分音符や八分音符を中心に使いながら演奏しはじめました。

スタッカートのアイデアを演奏している側は、音階を一段飛ばしにするだけではなく、数段まとめて飛ばし始めました。そして、相手側の特徴に感化されて、弱く演奏したりもしました。音階の段飛ばしもどんどん多くなり、1オクターブをまたぐことも出てきました。「(低い)ソ!(真中の)ソ!(高い)ソラー!」といった具合です。元のアイデアからは、随分と姿が変わってきました。

ゆったりとしたアイデアを演奏している側は、音階をなぞるような動きが細かくなってきました。「ミー、ミbー、レー、レ#ー、ミーファー、ファ#、ソーラー…」というように、半音も交えるようになってきました。相手の音の強さに応える様に、時折音量が大きくなります。

どちらともなくテンポが速くなってきました。前者は使う音符がどんどん細かくなってきました。片や後者は、二分音符や全音符を使うことが増えてきました。そして、その関係は何かの弾みで入れ替わることもありました。

さて、即興を終える直前の演奏は、当初のアイデアとは随分と姿の違うものになっていました。しかし、本人達にとっては、常にアイデアの特徴を意識しながら演奏していたので、「紛れも無く最初のアイデアから生まれたヴァリエーションであり、アイデアが成長した結果だ」という自覚があります。この即興演奏を聴いていた注意深い聴き手にも、その過程を通じてそのことが実感できたはずです。

即興とは「でたらめ」のことではありません。言わば「よく聴き、よく反応(判断)すること」です。上記の二人も、自分の音と相手の音をよく聴き、最初のアイデアが持っていた特徴を音で感じ取り、そしてまた音で表現していたのです。ここにあるのは、「聴く、感じとる、弾く」というループ状の流れです。そして、そこには音以外の別の要素、物語や映像といったものが主役になることはありません。

この課題のことを著者は次の様に語っています。

忘れてはならないのは、最初の音楽的アイデアの特徴を保つことである。この音楽にはストーリーをつける必要はない。自分たちが考え出した音楽的アイデアを使い、これを展開させて行う即興演奏なのである。アイデアに強い特徴があれば、即興演奏の間中、このアイデアがさまざまな形になって戻ってくるのを聴けるはずである。(本書p105より)

この様に、ある音楽的アイデアを発展させることを体験するには、即興演奏をしてみることが一番の方法でしょう。そのことを通して、冒頭の問いである「アイデアの発展、成長とは?」の答えも見えてくるでしょう。そしてまた、実際の作曲においても、このことが姿を変えて常に行われているということがお分かりになると思います。

ピアノの前で「ああでもない、こうでもない」と思考錯誤している作曲者は、言わば、自らの内で静かな即興演奏をしているようなものです。ポロリポロリと鍵盤をなでながら考えている様子は、自分がつくっている音楽との即興演奏の様です。そうやって、常に自分のつくっている曲に聞き耳を立て、そこに感じ取れる可能性を具体的な音で表現するのです。

このことは、ジャズの演奏において顕著です。ジャズでは、まさに即興演奏(アドリブ)によって音楽表現をしている、と言える部分があります。ジャズの演奏を聴く時には、その演奏者の「音楽的アイデアの発展内容」に注目することが多いでしょう。そして、そこに技術的な面が加わって、演奏者の個性として受け取られるのでしょう。

作曲をされたことのない方には、ぜひ、このような即興演奏の体験を味わってもらいたいと思います。ただ闇雲に楽器を鳴らすのではなく、音楽的アイデアという「種」を元にして、そこから感じ取れるものを信じて音楽を生み出していってみてはいかがでしょうか。

音楽的アイデアと、音楽のもととなるアイデア

音楽的アイデアとは、音そのもののことであり、そこから感じ取れる音楽的特徴のことです。言うなれば、音以外の要素は直接関係しません。では作曲とは、その最初から最後まで純粋に音だけを相手にした行為なのかと言えば、そうでもありません。この点について、著者はこのプロジェクトの中で次の様に述べています。

音でできたアイデアはどこからやってくるのだろうか? 断言できるのは、どんなものからでも音楽的なイマジネーションを喚起することができるということだ。見えるもの、聞こえるもの、読んだもの、今起こっている出来事や過去の出来事、自然物や超自然、人間の知覚では直接にはっきりとはとらえきれないようなもの。あるいは他の芸術表現や、他の音楽やその中に含まれるテクニックや形式概念、そしてこれらが全部組み合わさる場合もある。(本書p110より)

音以外の要素、つまり著者の言うような様々な物事が、作曲には関わってきます。雄大な自然を前にした時や、心揺さぶられる事件に出くわした時、それを音楽で表現しようと思い立ったならば、それらが音楽的なイマジネーションを喚起する役目を果たしたことになります。ですから、音以外の要素は作曲者にとって大切なものと言えます。しかし、その関わり方は、音楽的イマジネーションを喚起するもの以上ではないのです。著者は続けてこう述べます。

音楽の目的とは、最初に刺激となったものを、何らかの形で述べたり、描いたり、イメージ化することではなく、あるいは、作曲家のイマジネーションに最初に働きかけたものをこと細かに説明することでもない。それは音楽の範囲外のものなのだ。音楽の力とは違った方向にあるのだ。(中略)ストーリー(表題)は作曲家が音楽的な思考へと向かうための刺激(これをインスピレーションと呼ぶこともできようが)とはなるだろう。しかしできあがった作品から私たちが経験しようとするのは、音楽そのものなのだ。(本書p111より)

つまり、音そのもの以外の要素は、それ自体は音楽的アイデアとは呼べず、音楽的アイデアを生成させるための出発点に過ぎないものだと言うことができるでしょう。先ほど扱った「課題2」を例にすると、「ずっと登って行くような感じ」を思い浮かべる際に、子供の頃に学校の階段を駆け上がったことや、遠足の山登りで乗ったロープウェイを思い出すというようなことが、「音楽的な思考へ向かうための刺激」となるのです。

しかし、そうやって出来た「ドミソ!、ミソラー!」というアイデアは、「学校の階段」を表現しようとしたのではないのです。そのことがきっかけではありましたが、このアイデアは「学校の階段はこういうものだ」ということを伝えようとはしていません。この時点で、すでに作曲者の中では「音楽的思考」が中心となっているでしょう。つまり、「音を使って、音でしか表現できないことをしている」という訳です。ペアのもう一人も、「相手のアイデアから音楽を感じ取ろう」としているはずです。

さて、ここまで見てきた様に、音楽的アイデアの発展という「音楽づくりの中身」を、即興演奏という形で体験することは、音楽が表現する音楽的なものを、そのままに経験することの実践であり、これは音楽を深く味わう上において大切なことだと思います。では次は、音楽づくりのプロセスを見て行くことにしましょう。

プロジェクト9 「新しい耳」へ続く。