「作曲発言集」

様々な作曲家や演奏家、音楽学者や哲学者、そして批評家達の残した「作曲に関する発言」を掲載しています。

そこには相反する言葉や、時代ゆえの熱を帯びた言葉などもありますが、あえて掲載しています。共感、納得されるも良し、否定、疑問に思われるも良しでしょう。作曲を見つめるきっかけとなることを願っています。

──目次──
古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」 その1
古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」 その2
古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」 その3
古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」 その4

古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その4

■武満 徹(作曲家)
「自然なものを大事に・・・人間も自然の一部でやっぱり自然・・・自然というよりも、宇宙だよね。もっと宇宙的な仕組み、システムを本来のものに、元々の姿にしとかないと。音楽なんかをやるっていうのは、結局、そういうコスミックなシステムっていうのを恐れる、敬う、尊敬するっていうことだと思うんですよ。まあ、そこまで僕の音楽はいってないけど。その一つの形、形式、音楽はその一つの形。イマジナリーな自然だ」

マリオ・A 著:「カメラの前のモノローグ」より

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古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その3

■国安 洋(美学者)
「日常では我々は音楽を聴きたいように聴いている。それは個性的であるとして好ましい聴き方ともみなされている。しかし、これも美的享受とは無縁であるばかりでなく、我々の聴体験にとって決して好ましいことではない。聴きたいように聴くことは、聴きたいようにしか聴けないことを意味しているからである。これは耳の硬化あるいは偏向化であり、耳の暴力になりかねない」

国安洋 著:「《藝術》の終焉」より

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古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その2

■シェーンベルク(作曲家)
「芸術とりわけ音楽における形式の目的は、まず判り易さにある。楽想・展開・論理が把握できれば聴き手も満足でき開放感を感じられる。これは心理学的に言えば、美感と密接な関係をもっている。だから芸術的価値が判り易さを必要とするのは、知的満足だけでなく感情的満足のためである」

シェーンベルク 著:「作曲の基礎技法」より

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古今の音楽家たちの「作曲に関する発言」その1

■山田 耕筰(作曲家)
「作るのではない。生活から生むというのが私の創作上の信条だ。生むまでの苦心、日一日の精進だ、精励だ、刮目だ。いささかの油断も無い、全く言語に絶えた、真剣な生活そのものだ」

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