久々の知的カンフル剤でした

菊地成孔著『東京大学のアルバート・アイラー「キーワード編」』を一読。お目当ては濱瀬元彦氏が登場する部分です。この濱瀬氏はベーシスト&作曲家にして音楽理論書『ブルー・ノートと調性』の著者であります。

菊地氏の前著である『憂鬱と官能を教えた学校』において、カウンター・バークリー、ポスト・バークリーという視点を通じて『ブルー~』のことに触れられていて、そのくだりを読んだときには久しぶりにワクワク・ビリビリしたのでした。

私も『ブルー~』に影響を受け、濱瀬氏の知性と音楽性に感嘆の念を禁じえない一人ですので、本書を通じて濱瀬氏と菊地氏が相見えるという状況を想像したときには、その場に立ち会えなかった残念さが強く襲ってきました。

さて、肝心の該当部分の内容ですが、『ブルー~』の中心タームである下方倍音列について、濱瀬氏のスタンスが明瞭に解説されていたことが何よりの収穫だったと言えます。

併せて、「下方倍音に相当する存在を、感覚的協和性理論の不協和度を算出する数学的モデルから証明した」論文によって、知覚体験への興味を掻き立てられました。

と同時に、音楽理論というものがシステム(系)であり、そうである以上、その理論が有効な範囲においてのみそれが真なのであり、その外部にある無効な領域の存在を常に眼差しておくことが、知的節度として大切だと改めて実感です。

音楽における「射程の大きな普遍妥当性」を獲得していく歩みというものが、この先どういったものになって行くのか、その動きに注目していきたいと思います。

『東京大学のアルバート・アイラー「キーワード編」』