理解し、意味付けたい欲望~『楕円とガイコツ』を読んで

※『楕円とガイコツ』の内容紹介はこちら。

タイトルからはとても音楽に関する書籍とは思えないのですが、その内容は著者のこれまでの著作を包括し、かつ反省と気付きに溢れたもので、大変読み応えのあるものになっています。本書は、強いてジャンル分けするならば音楽理論書や作曲技法書といったものではなく(もちろんそういった読み方に耐え得る書籍であると思いますが)、「音楽批評」になると思われます。

言葉を補うならば、著者が今まで主に接して来た「キース・ジャレット」「ビートルズ」「坂本龍一」「チック・コリア」「ミスター・チルドレン」等と「小室哲哉」への批評を通して、「著者自らの音楽感覚」を捉え、理解し、意味付けようという活動の記録(ドキュメンタリー)だと言えるのではないかと思います。それだけに、文章を追って理屈を理解するだけでは意味が無いということは自ずから明らかでしょう。

幾らかでも反省的な態度で作曲をされている方にとって本書は、「自らの感覚的なもの」の価値観を顕在化させるための一提案として有り得ると思います。「なるほど、”何だかわからないけれど気持ちのいい、或るサウンド”の捉え方としてこんな見方があったのか」と思われることでしょう。

また、だれもが実践しているようなサウンドなのに、ほとんどどの書物にも書かれていなかったこと(例えば、メロディーの4度の骨格と、背景となる(広義においての)和音との距離感、差異について。一般的な言い方としてはペンタトニック・メロディーと和声との関係の意味。等など)がここには記されていますので、胸のつかえが下りる感もあります。

他人の音楽を分析されたことの有る方ならお分かり頂けることと思いますが、一般的な調性からの分析においては、或るノン・ダイアトニックな和声を借用と見るか一時的な転調と見るか等の不明瞭さに出くわすことがあります。そして、それらは往々にして作者に聞かなければ分からないようなものでもあると思いますし、また必ずしも作者が意識している訳ではないことでもあるでしょう。そもそも、「それが気持ちよかったから」という理由であったならば、どうでしょう。

また他にも、「メロディーに現れる音がいわゆる”アヴォイド・ノート”だった」場合、聞いたときの”いい”感覚とアヴォイドという理屈との狭間で「分析者として腑に落ちない」思いをされたことも有るのではないでしょうか。はっきり言ってしまえば、”いい”と感じる感覚を黙って信じるしかないのだと思うのですが、悲しいかな「理解し、意味付けたい欲望」にとってはそれでは納得がいかないのです。著者もそういった「欲望」を満たすために長い年月を掛けて来られた様です。

では、著者はどんな視点を手に入れたのでしょうか。詳しくは本書を通して「体験」して頂きたいので内容そのものに深く関わることは避けますが、要点はタイトルに表されている様に「楕円」と「ガイコツ」にあります。

「移動ド」の音世界と「移動ラ」の音世界の交換と融合。著者は、今まで「平行調」「同主調」という言葉だけで分かったつもりになっていた「ド」と「ラ」というものの関係を見つめ直し、そこに見られる関係性を指して「楕円」としているようです。

そしてまた、改めて「歌」に着目し、そこに在る四度(著者曰く、声の記憶)という歌の骨格(ガイコツ)に意味を見出します(なお、このアイデアは故柴田南雄氏によります)。

歌の持つ強固な中心と、それを支えるハーモニーの持つ中心。その狭間には、機能和声という視点だけや旋法(モード)という視点だけでは見えてこない「気持ちの良いサウンド」が潜んでいて、それを捉えるために「ガイコツ(声の記憶としての四度)」が有効だという訳です。

そもそも、日本のわらべ歌をはじめ、ハンガリー民謡等に見られるように、歌にはそれ自身に強固な中心を持っているものだと言えると思いますので、そういう文化を持つ人々にはその人々なりの「自然な歌たらしめるもの」があるというのは肯ける考えです。それを「ガイコツ(声の記憶としての四度)」と呼んでいるのではないかと思われます。

また、著者は以前から「ブルース」というものについて興味を示しており、著書「チック・コリアの音楽(1995年・音楽之友社)」において自ら「メタ・ブルース」という概念を提唱するに至っています。そして、その「メタ・ブルース(ここでは”移動ド”の視点のみだった)」を「移動ラ」という視点で考察し直し、新たに気付いた「歌」との関係を突き詰めていったものが本書「楕円とガイコツ」であるように思います。ですから本書においてもブルースについての考察が多く出てきます。

もっとも、ここで言う「ブルース」とは一音楽ジャンルのことを指したものではありません。著者は、ブルース音楽を耳にした時に受ける「気持ちいいサウンド(コード・チェンジ)」そのものに対して感じるものを「ブルース」としています(この辺りは”チック・コリアの音楽”に詳しい)。ですから、「この部分にブルースを感じる」というような表記が多く見受けられます。

ちなみに、「チック・コリアの音楽」は「旋法(モード)をモチーフとした音色変化の文法」の提言としてひとつの到達点を示していると考えられ、「歌(声の記憶)」に気付く前の著者の内に在る「様々な魅惑的な”気持ちいいサウンド”は、この”超モード主義”とも言うべきもので把握出来るのではないか」という欲望がよく表れていると思います。興味を持たれた方は是非こちらもご一読下さい。

さて、私自身、山下氏の「坂本龍一・音楽史(1993年・太田出版)」も読みましたが、そこに一貫してあるのは「理解し、意味付けたい欲望」だと思います。「著者が気持ちいい」と感じるサウンドを追い、意味付けようというその姿勢には執拗なものを感じる程です。

「坂本龍一にしろ、チック・コリアにしろ、本当に自分の感覚に論理が追いついてはいなかったのです」という著者の言葉は、そのまま著者自身への叱咤激励のようにも聞こえてきます。今後も著者の欲望は、そのはけ口を求め続けて行くことでしょう。

※『楕円とガイコツ』の内容紹介はこちら。

書籍情報

『楕円とガイコツ』
山下邦彦 著
出版社:太田出版(ISBN:4872335082)
2000年4月25日第一版発行
サイズ:384ページ