ようこそ“作曲する言葉”へ。

音楽に関する本のレビューと、作曲をテーマとしたコラムを掲載しています。

最近の記事

ミックスダウン時の音の質感

以前にも指摘されたことがあったのですが、私の曲の2trミックスは「音質がモワッとしている」という傾向があります。 続きを読む »

久しぶりに舞台の現場へ

先日は久しぶりに、友人達が制作・出演する舞台の観劇とそのバラシ(撤収作業)の手伝いに行って来ました。 続きを読む »

膨大な“作曲家の意思”を前にして

ナクソス・ミュージックライブラリを聴き浸るときが目立つ今日この頃です。音楽の百科事典を目指すというだけあって、そこには、いわゆるメインストリームに位置する作曲家のみならず、ローカルであったり折衷的であったりして音楽史的に省みられる機会の少ない作曲家の作品も数多くあります。 続きを読む »

NAXOSミュージックライブラリにハマる

NAXOS(ナクソス)と言えば、低価格&百科事典的な音楽レーベルとして有名ですが、そのNAXOSがストリーミングサービスを行っていると知り、さっそく試してみました。 続きを読む »

言葉に導かれる音楽記憶

「個々の音楽パーツを表現する言葉」が喚起するイメージを、おもちゃのブロックのように組み立てたり、色紙を組み合わせてタペストリーをつくったりするように扱い、新たな音楽を構成するという方法。 続きを読む »

ハイセンスな仕事ぶりに感動。『新オバケのQ太郎』のテーマ

マイカーのFMラジオから聞こえてきたサウンドとグルーブ感に、頭をガツンとやられた感じです。 続きを読む »

佇む者に圧倒される

私は、昼夜を問わず一人で自動車を走らせることを楽しみの一つとしています。目に飛び込んでくる風景を刺激とし、抽象具象あれやこれやの想像世界に半歩踏み込みつつ、他の車やひと気の少ない山道や田舎道を行くのです。 続きを読む »

口琴(ジューズ・ハープ)に挑戦中

この前の「カリンバ組立キット」体験に気をよくした私は、さらなるアイテムを模索。そしてある楽器に目を付け入手し、そして練習中です。 続きを読む »

要素や素材を絞った環境にて

先日、アフリカの民族楽器カリンバの「組立キット」なるものを購入。久しぶりに簡単ながらも工作を体験しました。 続きを読む »

奈良美智氏への随想

2006年06月25日、ドキュメンタリー番組『情熱大陸』を観る。出演は美術家の奈良美智氏。 続きを読む »

DTMの比喩を想う

他愛の無い想像。コンピュータ上で音楽を生み出していく形式(いわゆるDTMやラップトップミュージック)は、例えるならば版画と似ているのではないだろうか。 続きを読む »

ルトスワフスキの魅力を再認識

ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-1994)のNAXOS盤『Symphony No. 4』より、間奏曲(interlude)を改めて聴く。 続きを読む »

音楽史を通して立脚点を見つめなおす

ここ最近は、音楽史に関する良書に出会うことが多く、個人的な収穫に恵まれている状況です。 続きを読む »

北欧の作曲家ラウタヴァーラ

ラウタヴァーラ(Einojuhani Eautavaara 1928- )の交響曲3&7&8、ピアノ協奏曲2&3などを聴く。 続きを読む »

アートにおけるイメージの具現化

アートにおけるイメージの具現化とは、イメージの忠実な具現化ではなく、イメージとの戯れの結果生じる足跡のことなのではないか、ということ。 続きを読む »

つぶやき的な

自分にとっての作曲という行為が、イマジナリーなものの音響表現としてではなく、作曲装置(楽器などの演奏環境など)によって規定される枠内での可能性表現に転倒してしまっているのではないか、という自問。 続きを読む »

うたた寝とサウンドスケープ

先日、地元にある温泉施設「ゆらら」へ行って来ました。そこの存在は以前から知っていたのですが、出掛けたのは今回が初めてでした。 続きを読む »

東西アフリカ圏の音楽を聴く

菊地成孔著『憂鬱と官能を教えた学校』の律動の章に感化されて、アフリカ音楽を聴いてみました。 続きを読む »

久々の知的カンフル剤でした

菊地成孔著『東京大学のアルバート・アイラー「キーワード編」』を一読。お目当ては濱瀬元彦氏が登場する部分です。この濱瀬氏はベーシスト&作曲家にして音楽理論書『ブルー・ノートと調性』の著者であります。 続きを読む »

これは内在しているストレッサーなのか?

思うに、「生の自分」をさらけ出すことに大きな抵抗を感じているのかもしれません。実際、人前で即興演奏をしたりすることには昔から強い拒否感を持っていましたし、作曲の実際の様子を見られるのも勘弁願いたいです。 続きを読む »