思い出の音楽。ミュージカル『回転木馬』
実力が一段階アップする、ブレイクスルーを起こす際の条件の一つに、「実力以上の負荷が掛かることをする」というものがあります。私にとって重要な体験だったものとして20歳の時に手掛けた劇伴制作があり、それがミュージカル『回転木馬』でした。
仕事の内容は、オーケストラを打ち込みで再現してミュージカルナンバーの伴奏を作ることでした。言うなれば、会場ホールでの再生に耐えられるカラオケを用意するというものです。
そのころ習っていたピアノの先生を通じて「勉強になるだろうからやってみると良い」と紹介され、参加することになったのですが、当時の実力ではオーケストラを自分の手で再現するなど無理難題という他なく、あったのは打ち込みでの音楽作りへの興味と根拠のない自信だけでした。
先方の劇団からは『回転木馬』のピアノスコアと参考資料のCDが渡され、クラシカルでゴージャスなオーケストラ伴奏を打ち込みで作る作業が始まったのです。
稽古の段取りの都合から、まず最初に作ることになったのは第1幕の「June Is Bustin’ Out All Over(6月は一斉に花開く)」で、のっけから大変な曲と向き合うことになり頭を抱えました。
ピアノスコアをオーケストラスケッチに見立て、とにかくCDを聴きながら、模写するように管弦楽を再構成していく作業が続きました。
自分流にオーケストレーションしようとしたところで、当時の腕では紛いものどころか頓珍漢な代物にしかならないのは明らかだったので、気持ちとしてはCDの完コピをするくらいのつもりで、ピアノスコアとCDに首っ引きの時間が流れていきました。
そして何よりも問題だったのは、演奏の表情付けです。音の強弱やテンポの緩急、テヌート、スタッカート、様々なアーティキュレーションを与えて、「音の羅列」ではなく「音楽」を感じてもらえるものにしていくことが最大の課題となりました。
CDを聴きながら、微視的に観察・模倣しつつも、大きな流れとその展開を見据えてバランスをとっていくことを繰り返すのですが、技量的な問題もあってなかなか進みません。
「ここはトロンボーンが密集して裏伯をスタッカート気味で伴奏しているようだ」
「作ってみたが、べたっとしてうるさく感じるだけだ」
「よく聴いてみると、セクションのトップノートのラインがフレーズのように感じられるぞ」
「では、トップノート以外は弱くして、かつリリースタイミングも甘くして引っ込めてみよう」
「でも、まだ機械的な感じがする」
「じゃあ、アタックタイミングを微妙にバラしてみてはどうか?」
──こんな具合に苦労して数小節作ってもほんの数秒でしかなく、参加楽器の多い場面では困難はさらに増し、一曲全体の4分強というサイズが絶望的に大きく見え、作っても作っても終りが見えない状況に対し、これまでに感じたことのない壁の存在を意識せざるを得ません。
結局はひたすらこれを続け、ゴリゴリと力ずくで進み、着手から約三週間後に完成へと至ります。
息をつく間もなく続いて「Blow High, Blow Low」に取り掛かったのですが、一曲を何とか仕上げたことによって、自分なりの打ち込み方のテンプレートがデータと感覚的な部分の両方で形成されたようで、苦労の程度は明らかに下がりました。
いわゆる「コツをつかんだ」状態になったのだと思いますが、本来ならば取り組みの要素や問題点をもっと小分けにした上で、一つずつ習熟・解決していくのが理想的な学びの姿だったところを、強引に一まとめでぶつかっていったため、一歩間違えば玉砕していたのかもしれず、その意味では運が良かった面もありました。
そのようにして出来上がった音楽は、一曲ごとにその都度カセットテープに録音されて先方の劇団へ送られ、歌とダンスの稽古が進められていきました。
大規模なダンスナンバーが一通り出来上がり、再度の打ち合わせを兼ねて稽古場へ出掛けたときのことです。そこで見せてもらった「June Is~」や「Blow High~」の歌と踊りを前にして、自分が一人で行ってきた取り組みが全体の中でどういった意味を持ったものなのかが、その時、理屈ではなく心で理解できた思いがしたものです。
リチャード・ロジャースやハマースタインら巨人達の肩の上に昇らせてもらいつつ、それまでには体験したことが無かった形で音楽の力を再認識できたひと時でした。
このように『回転木馬』は、技術的なブレイクスルーの重要な機会だったことと併せて、自分の中での音楽のあり方が変化した記念碑的な意味をもつ作品です。